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		<title>タグ“ハンセン病”の公開資料</title>
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		<description>タグ“ハンセン病”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[看護倫理　優生保護法]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922586034452@hc20/142859/]]></link>
			<author><![CDATA[ by poomama]]></author>
			<category><![CDATA[poomamaの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 15 Jan 2021 22:47:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922586034452@hc20/142859/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/922586034452@hc20/142859/" target="_blank"><img src="/docs/922586034452@hc20/142859/thmb.jpg?s=s&r=1610718465&t=n" border="0"></a><br /><br />優生保護法による優生思想と倫理

　倫理とは、社会生活を送る上での一般的な決まり事で、人として守るべき道のことである。そのためには社会のルールとして法律や社会制度が必要とされる。それは人として生きるための正しい規範でなければならない。しかし近年は医療技術が進歩し、特に生殖医療は大きく変わり命の選択が可能となった。倫理の秩序といえる、法律や社会システムは医療の進歩に追いついていないと感じる出来事もある。例えば不妊治療に対する体外受精や代理母による出産。また出生前診断の結果、障害をもって生まれる可能性のある命の選別などである。命の選別とは人工妊娠中絶であるが、我が国では母体保護法により人工妊娠中絶は規制されている。人工妊娠中絶が認められるのは、「妊娠の継続が身体的、経済的理由により母体の健康を著しく害する恐れがあるものと、姦淫により妊娠したもの」である。法律の名の通り母体保護が優先されている。しかしこの母体保護法以前の優生保護法は、決してそうとは言えない。命の選別をどう考えるか、母体保護法の変遷と事例を踏まえながら優生思想と倫理について考えたい。
　
　１．母体保護法の歴史と背景
母体保護..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国立ハンセン病療養所　見学実習記録]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/932811526085@hc17/130790/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ondine6]]></author>
			<category><![CDATA[ondine6の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 29 Sep 2017 15:28:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/932811526085@hc17/130790/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/932811526085@hc17/130790/" target="_blank"><img src="/docs/932811526085@hc17/130790/thmb.jpg?s=s&r=1506666520&t=n" border="0"></a><br /><br />看護学校の実習で国立ハンセン病療養所を見学した後に提出したレポートです。[108]<br />ハンセン病とは 
　ハンセン病は皮膚と末梢神経を主な病変とする抗酸菌感染症 で、現在は途上国を中心に患者がいるものの、日本では毎年数名の新規患者の発生で、過去の病気になってきている。しかし、感染症法の前文には「我が国においては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である。」と記載されている。ハンセン病は社会との関係を抜きにしてはこの疾患の本質を理解することはできない。
国立ハンセン病療養所　見学実習記録
●実習目標
ハンセン病の歴史を知り、患者がどの様な療養生活を過ごしてこられたかを知る。
●目標の到達度
日本のハンセン病患者が発病後療養所に隔離され、身体的・精神的・社会的な苦しみの中生きてこられたことを具体的に知り、人権について考えることができた。
●1日を通しての見学・実施内容・学んだこと・気づいたこと
私がハンセン病について初めて知ったのは、1998年のらい予防法違憲国家賠償請求訴訟において原告勝訴の判決に対し、国側が控訴を断念したというニュースをテレビで見..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[韓国におけるハンセン病について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/118111/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamakou]]></author>
			<category><![CDATA[yamakouの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 15 Jan 2015 13:03:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/118111/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/118111/" target="_blank"><img src="/docs/983429521201@hc06/118111/thmb.jpg?s=s&r=1421294605&t=n" border="0"></a><br /><br />韓国におけるハンセン病について 
１．前史（西洋の宣教事業・日本の植民地支配） 
」 
1916 年 朝鮮総督府・朝鮮小鹿島慈恵医院を開設（院長：警察局衛星課長周防正季・兼任） 
「癩予防ニ関スル件施行規則」一部改定 &larr; 院長に懲戒検束権付与 
1929 年 無癩県運動が各県で提唱 
チェ・フンジョン牧師「朝鮮癩病根絶研究会i」組織 &larr; 朝鮮初の民間救癩団体 
1930 年 国立療養所第一号「長島愛生園」 &rarr; 以後各地に国立療養所が開園 
1931 年 「癩予防法」公布 &rarr; 強制隔離の開始 
財団法人癩予防協会設立 
1932 年 朝鮮総督府「朝鮮癩病予防協会」設立 
&larr; 癩患者事業一元化のため、協会以外の寄付金を受け取れないようにする。小
鹿島病院拡大のための献金を募集、小鹿島慈恵医院を更生園と改称 
1936 年 小鹿島療養所拡大工事完成 &larr; 建設人員は患者、6000 名収容可能施設になる 
1942 年 小鹿島療養所長・周防正季暗殺 &larr; 患者・李春成による 
・宣教を目的とした救癩事業 
・国家事業としての癩対策 ＝ 浮浪癩患者収容 
癩患者撲滅運動（＝無癩県運動） 
強制隔離 
国家による一元管理（植民地朝鮮下） 
日本 
1889 年 テストウィド神父による私立療養所 
&rarr;以降各地に私立療養所 
1907 年「癩予防ニ関スル件」 
&rarr;全国を 5 区域に分けて公立療養
所が各地に建設・隔離収容開始 
「浮浪癩」取締まりの側面 
韓国 
1909 年 マッケンジーによる救癩事業の開始 
&rarr;以降救癩事業が本格化 
1873 年 ノルウェー医・ハンセンがらい菌を発見 
1897 年 第一回国際癩会議でハンセンが対策として隔離が最適と主張 
２．解放後～1950 年 6.25動乱ii 
・浮浪癩患者の急増 &larr;政治的空白状態が生じ、管理もされなかったため脱出患者が急増 
1946 年・1947 年頂点。癩患者を集めて収容すべしという風潮が高
まる。 
・「朝鮮癩予防協会」設立 &larr; 1947 年 7 月。事業財源を捻出するため各女学校を訪ね歩
き、募金活動を行う事業協力者を募る。 
数多くの女学生が街頭募金活動に参加。集まったお金は安
定した自立生活のため自分の家を持たせ、自分の力で農作
業を行い、食べていけるように使った。 
・集団部落運動 &larr; 癩予防協会支部を各..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ハンセン病について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957857365916@hc09/57962/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tantakatan]]></author>
			<category><![CDATA[tantakatanの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 09 Nov 2009 19:09:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957857365916@hc09/57962/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957857365916@hc09/57962/" target="_blank"><img src="/docs/957857365916@hc09/57962/thmb.jpg?s=s&r=1257761355&t=n" border="0"></a><br /><br />ハンセン病について　～ハンセン病患者に対する日本政府の対応～
　

ハンセン病とは、1873年にノルウェーのハンセンが発見したらい菌によって、主に皮膚や抹梢神経が侵される感染症の一つです。この菌の毒力はごく弱く、感染しても発病すること[340]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ハンセン病レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963400369997@hc08/18835/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ss_bmw_]]></author>
			<category><![CDATA[ss_bmw_の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Jan 2008 11:13:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963400369997@hc08/18835/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963400369997@hc08/18835/" target="_blank"><img src="/docs/963400369997@hc08/18835/thmb.jpg?s=s&r=1201572813&t=n" border="0"></a><br /><br />　「発病後、人目を避けるため裏の奥座敷に独りこもっていたが、村の人がそれを知って弟や妹が学校でいじめられていた。私のためにこれ以上家族に迷惑をかけるのは忍びないと思い、家を出て海岸辺に隔離小屋を建ててもらい、そこに独り暮らすことにした」（犀[360]<br />　「発病後、人目を避けるため裏の奥座敷に独りこもっていたが、村の人がそれを知って弟や妹が学校でいじめられていた。私のためにこれ以上家族に迷惑をかけるのは忍びないと思い、家を出て海岸辺に隔離小屋を建ててもらい、そこに独り暮らすことにした」（犀川 一夫　著　1996　ハンセン病医療ひとすじ　岩波書店）。
　これはハンセン病患者の言葉です。ハンセン病は、昔、らい病と呼ばれ恐ろしい不治の病とされていました。ハンセン病の歴史は古く、長年に渡って何らかの形で差別を受け続けてきました。社会の偏見の目や、病気への無理解や無関心も患者を苦しめ、国の政策も患者の人権を無視したものでした。ハンセン病患者の人々は差別によってどのような境遇をたどったのでしょうか。
　明治初期には、国による対策は何もありませんでした。家族からも故郷からも見放された患者は、隔離小屋を建てて、そこに独り暮らすか各地を転々と放浪するしかありませんでした。なぜ、ハンセン病患者はこのような差別を受けたのでしょうか。その理由の一つは、病気の性質によるものです。
　ハンセン病は、はじめは皮膚のかすかな異常から始まり、そのうち皮膚が変色したり腫..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 『封印された叫び〜国策・ハンセン病隔離の罪〜』を見て]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431792401@hc05/6286/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cdg34650]]></author>
			<category><![CDATA[cdg34650の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 05 Feb 2006 16:27:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431792401@hc05/6286/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431792401@hc05/6286/" target="_blank"><img src="/docs/983431792401@hc05/6286/thmb.jpg?s=s&r=1139124440&t=n" border="0"></a><br /><br />　私はハンセン病についての知識はほとんどなく、ハンセン病の歴史等は知りませんでした。しかしこの映像を見て、国の政策によって作られた、その残酷な歴史を知り、強い衝撃を受けました。特に、施設の実態の点には驚かずにはいられないものがありました。そ[360]<br />『封印された叫び～国策・ハンセン病隔離の罪～』を見て
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　私はハンセン病についての知識はほとんどなく、ハンセン病の歴史等は知りませんでした。しかしこの映像を見て、国の政策によって作られた、その残酷な歴史を知り、強い衝撃を受けました。特に、施設の実態の点には驚かずにはいられないものがありました。そこでは患者の人権などまったく考慮されず、所長の言うことに反抗すると独房に入れられる、一部の患者には本人の同意を得ることなく断種手術が強要され、妊娠した女性患者は本人の意思に関係なく堕胎されたなどの人権侵害がまかり通っていたのです。そして、このような..]]></description>

		</item>

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