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		<title>タグ“トルコ”の公開資料</title>
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		<description>タグ“トルコ”の公開資料</description>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
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		<item>
			<title><![CDATA[＜歴史学分冊２＞日本大学通信2018-17年度]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/935683811279@hc16/137077/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ホワイトウイング]]></author>
			<category><![CDATA[ホワイトウイングの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 06 Mar 2019 12:13:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/935683811279@hc16/137077/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/935683811279@hc16/137077/" target="_blank"><img src="/docs/935683811279@hc16/137077/thmb.jpg?s=s&r=1551842036&t=n" border="0"></a><br /><br />講評：オスマン時代から説き始め、ケマルの「世俗化」政策とその核となる国民経済づくりに至るまでがよく説明されていると思います。また「時代」背景、「地域」特性を考えようとする視点も、確認できるリポートとなっています。全体として、第一次世界大戦期[360]<br />課題：通信教育教材「歴史学（第４～８部）」から時代及び地域から共通する１～２名の人物を選び、彼ら
の生きたところの時代概観及び地域のあり方を論述しなさい。なお、リポートのはじめに、選択した人物名・
地域名・時代を明記すること。 
「ムスタファ・ケマル（アタテュルク）／トルコ・近代史」 
トルコ共和国は、信仰宗教の９割以上がイスラム教徒の国だ。ともなれば、イスラム根幹の「六信五行」の
下、女性はスカーフで肌を隠し、男性はターバン、娯楽・遊興は法度、飲酒や豚肉他、一部食材の飲食禁止等、
中東諸国と同様に厳しい戒律を遵守するイメージだが、実際には先進国を思わせる自由な装いや繁華街、昼夜
の外出外泊も自由、店舗出店規制も殆ど無い。また、宗教・宗派間対立や混乱も聞かれず、まさに「イスラム
らしくないイスラム教徒の国」と称される。そこには共和国が、かつてのオスマン帝国の様な宗教国家ではな
く政教分離し、民主的で「世俗的」な社会的法治国家（憲法３条）を掲げ、且つ、この「世俗国家」の原則は
不変（憲法４条）と宣言したからだ。かつての 600 年以上続いた巨大宗教帝国は解体、政教分離に転換した共
和国建..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[70外国史Ⅱ(東洋史)第2課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126358/]]></link>
			<author><![CDATA[ by misohan]]></author>
			<category><![CDATA[misohanの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 16 Sep 2016 13:20:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126358/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126358/" target="_blank"><img src="/docs/936153742693@hc16/126358/thmb.jpg?s=s&r=1473999623&t=n" border="0"></a><br /><br />宋代以降の君主独裁制(皇帝独裁制)の確立と変化について、その途上で現れる征服王朝の性格についても言及しつつ、まとめなさい。[179]<br />宋代以降の君主独裁制(皇帝独裁制)の確立と変化について、その途上で現れる征服王朝の性格についても言及しつつ、まとめなさい。
　宋は趙匡胤により960年に建国された。彼は武断政治から文治政治への転換を目指し、君主独裁体制強化を図った。趙匡胤は五代十国時代を勝ち抜いた武人で文官による支配が望ましいと考えた。節度使の権限を縮小し欠員が出ればそこに文官を入れて軍人から兵力を奪った。節度使を離れれば皇帝直属の軍人として再編成し、禁軍とした。唐での六部を統括して行政を司ったのは中書省で、財政担当は三司とした。そして枢密院も設置したがこれらの役所の長官は全て文官であった。軍事的知識を持ち合わせた人物が長官になると視野狭窄に陥るという考え方からであったが、これを文民統制という。文官を長官とするため役人は優秀な官僚を選ばなければならず、そのために科挙制度を整備した。宋代の「解試」「州試」「省試」に加えて宮殿で皇帝自らによる「殿試」を実施することとした。官僚になると徭役は免除され税軽減の特権もあったが、唐代では家系でその連続性が保たれたが宋代ではその官僚一代限りであったため、自分の子どもたちに猛勉強させ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[歴史学メディアMAレポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/943946394475@hc14/123622/]]></link>
			<author><![CDATA[ by frankl]]></author>
			<category><![CDATA[franklの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 25 Feb 2016 10:16:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/943946394475@hc14/123622/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/943946394475@hc14/123622/" target="_blank"><img src="/docs/943946394475@hc14/123622/thmb.jpg?s=s&r=1456363000&t=n" border="0"></a><br /><br />実際に合格をいただいたものですが、あくまで参考資料として下さい。ノークレームの自己責任でお願いします。[153]<br />課題：トルコにおける世俗化とイスラームの相克について、あなた自身の意見を交えながら論じなさい。【解答文字数：2,000字以上3,000字以内】

＜以下本文＞
私たち日本人からすると、イスラーム圏というのは西洋化世界とは違い、戒律の厳しい生活を送っているイメージを抱く。そのような中でトルコは、西洋化の進んだ日本の友好国でもあり、いわゆるイスラームというイメージとは異なる国である。娯楽や飲酒にも寛容で、日本から旅行客が足を運ぶ観光地としても有名である。しかし現在のトルコが見せる姿の背景には、それまでの宗教支配から国ごと抜け出そうとした世俗化への奮闘があった。以下に、世俗化とイスラームの相克についてトルコが歩んだ過程を辿りつつ、私自身の意見を交えて述べる。
　まず、トルコの前身であったオスマン帝国について解説する。７世紀に登場したイスラームは絶大な勢力を誇り、ウマイヤ朝によってイスラーム圏を拡大した。その一つであるオスマン帝国（1299～1922）は、始祖オスマン１世の治世最盛期には、北はハンガリーから南はインド洋に、東はイラクから西はアルジェリアに至る広大な領土を帝国の支配下においていた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[資源と人間　宝石博物館見学]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazukichi_0914/73307/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kazukichi]]></author>
			<category><![CDATA[kazukichiの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 05 Nov 2010 01:20:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazukichi_0914/73307/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/kazukichi_0914/73307/" target="_blank"><img src="/docs/kazukichi_0914/73307/thmb.jpg?s=s&r=1288887606&t=n" border="0"></a><br /><br />表2　主な宝石の鉱物名、宝石名、成分、生成場所 鉱　物　名 宝　石　名 成　　分 生成場所 ダイヤモンド ダイヤモンド （無色、その他） C 単結晶 上部マントルのマグマ、高温高圧 コランダム ルビー（赤） Al2O3 単結晶 接触変成作用による大理石、広域変成岩 サファイア（青、その他） 玄武岩マグマ、ペグマタイト、広域変成岩 スター石（アステリズム） 単結晶（包有物） 〔ルビー、サファイアに同じ〕 スピネル スピネル（赤） MgAl2O4 単結晶 接触変成作用による大理石 クリソベリル アレキサンドライト（色変り） BeAl2O4 単結晶 広域変成岩 キャッツ・アイ（蜂蜜黄色） 単結晶（包..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[キプロス南北分断までの経緯と問題点]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960142283508@hc09/59916/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hotdogfiend]]></author>
			<category><![CDATA[hotdogfiendの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 28 Nov 2009 14:42:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960142283508@hc09/59916/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960142283508@hc09/59916/" target="_blank"><img src="/docs/960142283508@hc09/59916/thmb.jpg?s=s&r=1259386938&t=n" border="0"></a><br /><br />キプロス南北分断までの経緯
　今現在もEUへの加盟交渉が続いているトルコ共和国であるが、ここではこの交渉を複雑化させている大きな要因でもある、キプロスの南北分断までの経緯について見ていきたい。
1. キプロス共和国の基本情報 1
2. 紀元前からイギリスから独立までの歴史 1
3. キプロス共和国の誕生から南北分断への経緯 2
4. 問題点 2
キプロス共和国の基本情報
公用語 ギリシャ語、トルコ語 首都 ニコシア 人口 775,927人（世界156位） 面積 9250ｋ㎡（世界162位） 独立 1960年8月16日にイギリスより独立 
まず、キプロスとはトルコ南の東地中海上に面する小さな島国である。地理的には西アジアであるがキシアで国全体の人口はわずか約77万人（世界156位）、面積も9250平方キロメートル(世界162位、兵庫県と同等)と人口・面積ともに非常に小さな国である。しかし、戦略地理的にヨーロッパ・中東・アジアを分断する地域にあるため、その地理的価値は高く、歴史上、様々な地域からの支配を受けた。そのため、全人口のうちギリシャ系住民が77パーセントとトルコ系住民が18パーセン..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[宗教の「疎外」と「脱疎外」―トルコ・イスラームの事例から〈宗教社会学）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53393/]]></link>
			<author><![CDATA[ by camsa10]]></author>
			<category><![CDATA[camsa10の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 00:42:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53393/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53393/" target="_blank"><img src="/docs/958518609389@hc09/53393/thmb.jpg?s=s&r=1249141379&t=n" border="0"></a><br /><br />現代宗教の「疎外」と「脱疎外」、その諸作用―トルコの事例から
序
第一次大戦後の1923年、西欧列強との対抗の中で、宗教色をできるだけ排し徹底的な西欧的世俗化・近代化の過程で、民族的結束のもと「国民国家」として新たに成立したトルコ共和国だが[348]<br />現代宗教の「疎外」と「脱疎外」、その諸作用―トルコの事例から
序
第一次大戦後の1923年、西欧列強との対抗の中で、宗教色をできるだけ排し徹底的な西欧的世俗化・近代化の過程で、民族的結束のもと「国民国家」として新たに成立したトルコ共和国だが、現在では再びイスラーム的な共同体意識、結束意識が高まりつつある。なぜ今になって「世俗国家」トルコにおいてイスラームが再興しているのか、またそれは国民意識や現代国際関係にどのような作用を及ぼしているのか、以下で分析していきたい。
その際有用となるのが宗教の諸機能、特に「疎外」と「脱疎外」という機能である。「疎外」とは、人間が作り出した諸観念や概念が人間自身から独立し、逆に人間を支配・規定し、人間が本来あるべき自己の姿を失ってしまう、という状況を意味する。一方「脱疎外」とは、上述のような「疎外」状況から脱し、人間の「本来のあり方」を取り戻すことをいう。
宗教は根本的に「疎外」と「脱疎外」の両義性を内包するものであるが、現代においてそれはどのように作用しているのか、考察するとともに、現代における宗教の存在意義について検討していきたい。
　
1. 世俗主義..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[トルコにおける民族問題について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428519501@hc07/14218/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yasuka]]></author>
			<category><![CDATA[yasukaの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 30 Jul 2007 11:33:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428519501@hc07/14218/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428519501@hc07/14218/" target="_blank"><img src="/docs/983428519501@hc07/14218/thmb.jpg?s=s&r=1185762822&t=n" border="0"></a><br /><br />トルコにおける民族問題について
　２０世紀は&ldquo;民族の世紀&rdquo;とよばれ、（「クルド・国なき民族の今」より）世界の各国で様々な民族が独立を目指し戦ってきた。トルコにおいても、１９９１年以来、周辺世界で同時多発的に民族の問題が起こっている。今回は、[358]<br />トルコにおける民族問題について
　２０世紀は&ldquo;民族の世紀&rdquo;とよばれ、（「クルド・国なき民族の今」より）世界の各国で様々な民族が独立を目指し戦ってきた。トルコにおいても、１９９１年以来、周辺世界で同時多発的に民族の問題が起こっている。今回は、そういった、トルコにおいての民族問題について、調べていこうと思う。
　１９７０年代に入り、クルド人の民族意識は急激に高まった。トルコでも　後進地域である南東部地方の経済開発が進むにつれ彼らの社会を特徴付けてきた部族制が解体し、それを超えた民族的なまとまりができてくる社会経済的条件が整ってきた。そしてこのような社会的な変化によって不満が噴出し、それが反政府運動につながり、その過程でクルド人としての団結力が強まったのである。また、クルドの民族闘争はいくつもの複雑な面を持っている。クルドを内包する国同士が敵対関係にあり、冷戦時には米ソが影であやつり、またアラブとイスラエルの対立もこれに影響をあたえた。それ故クルドは幾度となく大国の思惑に翻弄された&ldquo;悲劇の民&rdquo;と呼ばれるようにもなった。現代のトルコはこのようなクルド人の民族問題をめぐって出口の見えない混迷の中..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[指導過程]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430589301@hc06/10091/]]></link>
			<author><![CDATA[ by orpheus12]]></author>
			<category><![CDATA[orpheus12の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 29 Jul 2006 12:26:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430589301@hc06/10091/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430589301@hc06/10091/" target="_blank"><img src="/docs/983430589301@hc06/10091/thmb.jpg?s=s&r=1154143585&t=n" border="0"></a><br /><br />（１）本時の目標
この単元ではケマル＝アタテュルクの政策を取り上げ、トルコ共和国の近代化と民族問題について考察することで、トルコ共和国が多民族国家であるという困難を克服して近代化をすすめようとしたことの認識を獲得するねらいがある。よって、[356]<br />段階 発問 教授学習活動 資料 習得される知識 導入
トルコ共和国（以下、トルコ）は成立してから何年がたつか。
◎ケマル＝アタテュルクの政策はトルコをどう変えようとし、その政策は結実したか。 Ｔ：発問する
Ｔ：資料提示
Ｐ：資料をみて答える
Ｔ：発問する
Ｐ：答えられず
Ｔ：課題提示 ③ トルコ共和国は成立後まだ百年も経っていない国である。 展開&alpha; ケマル＝アタテュルクが行った政策にはどのようなものがあるか。
イスラーム世界の政治は何を基礎としているか。
イスラーム世界の暦は何を用いているか。
イスラーム世界の女性は社会的にどのような扱いを受けていたか。
オスマン帝国の公用語であるオスマン語を表記している文字は何文字か。
ケマル＝アタテュルクの政策は何を志向していたか。 Ｔ：発問する
Ｔ：資料提示
Ｐ：資料をみて答える
Ｔ：発問する
Ｐ：応答
Ｔ：発問する
Ｐ：応答
Ｔ：発問する
Ｔ：資料提示
Ｐ：資料をみて答える
Ｔ：発問する
Ｔ：板書する
Ｐ：黒板をみて答える
Ｔ：発問する
Ｐ：応答
③
なし
なし
⑤
板書
なし ケマル＝アタテュルクの政策では政教分離・太陽暦の採用・女性参政権を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[知識の構造・問いの構造]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430589301@hc06/10043/]]></link>
			<author><![CDATA[ by orpheus12]]></author>
			<category><![CDATA[orpheus12の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 26 Jul 2006 20:36:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430589301@hc06/10043/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430589301@hc06/10043/" target="_blank"><img src="/docs/983430589301@hc06/10043/thmb.jpg?s=s&r=1153913787&t=n" border="0"></a><br /><br />知識の構造化

教育内容
ケマル＝アタテュルクの政策は脱イスラム化、西欧化を志向しただけでなく、もともと多様な文化、民族、人種で構成されていたトルコを、トルコ民族による単一な民族国家へと強引に移行させて近代化をすすめる意図があった。し[348]<br />知識の構造化
教育内容
ケマル＝アタテュルクの政策は脱イスラム化、西欧化を志向しただけでなく、もともと多様な文化、民族、人種で構成されていたトルコを、トルコ民族による単一な民族国家へと強引に移行させて近代化をすすめる意図があった。しかし、その政策は未だ結果しているとはいえない。
知識の構造
&alpha;：ケマル＝アタテュルクの政策は脱イスラム化、西欧化を志向した
　&alpha;1：ケマル＝アタテュルクの政策では政教分離・太陽暦の採用・女性参政権を実施・ローマ字採用（他の文字は制限）。
　&alpha;2：イスラーム世界&hellip;イスラム法による政治が行われる＝政教一致である。
　&alpha;3：イスラーム世界&hellip;ヒジュラ暦が採用されている。
　..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[書評：佐藤次高『マムルーク』東京大学出版会、１９９１年［早稲田・文学部・イスラム史・評価A］]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/7425/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kenjiro55]]></author>
			<category><![CDATA[kenjiro55の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 10 Mar 2006 04:13:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/7425/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/7425/" target="_blank"><img src="/docs/983430795301@hc06/7425/thmb.jpg?s=s&r=1141931592&t=n" border="0"></a><br /><br />「マムルーク」とは、９世紀から１９世紀までの長期にわたり、イスラム世界の全域で活躍した、トルコ人を中心とする白人奴隷兵のことである。彼らは次第に軍団化し、１３世紀にはスルタンの座を手に入れて、マムルーク朝を成立させた。異民族出身の彼らが、な[360]<br />書評：佐藤次高『マムルーク』東京大学出版会、１９９１年
　「マムルーク」とは、９世紀から１９世紀までの長期にわたり、イスラム世界の全域で活躍した、トルコ人を中心とする白人奴隷兵のことである。彼らは次第に軍団化し、１３世紀にはスルタンの座を手に入れて、マムルーク朝を成立させた。異民族出身の彼らが、なぜここまでの活躍をしたのか。本書ではこの点を明らかにすべく、イスラムでの奴隷の扱い、奴隷と奴隷軍人の果たした社会的役割が、時代を追って述べられている。
　イスラム社会の奴隷制は、人格を全く否定されるアメリカ社会の奴隷制とは大きく異なる。虐待は固く禁じられ、主人は積極的に奴隷を解放し、解放奴隷は自由人とほぼ同等だった。これはイスラム法が、奴隷に関する親切な扱い・解放を重要な善行の一つとしていたからである。しかし不思議なのは、そうした自由さがありながら、奴隷に武器を持たせ、馬に乗せて、なぜ逃亡したり、反乱を起こしたりしなかったのかということだろう。著者は、次のような理由を挙げている。
１．少年の頃から訓練することで、君主に対する絶対的な忠誠心が養われた。
２．少年の頃から訓練することで、同期の仲間..]]></description>

		</item>

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