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		<title>タグ“ソ連”の公開資料</title>
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		<description>タグ“ソ連”の公開資料</description>
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		<item>
			<title><![CDATA[上智大学　ロシア・ユーラシアの国際関係B 期末レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/149231/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rurunya]]></author>
			<category><![CDATA[rurunyaの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 04 Aug 2022 10:55:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/149231/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/149231/" target="_blank"><img src="/docs/918829665482@hc22/149231/thmb.jpg?s=s&r=1659578131&t=n" border="0"></a><br /><br />上智大学の開講科目、ロシア・ユーラシアの国際関係Bの期末レポートです。冷戦期におけるチェコスロヴァキアの情勢について論じています。[193]<br />ロシア・ユーラシアの国際関係B
期末レポート

冷戦期におけるチェコスロヴァキアの情勢

　私は学期中に行ったプレゼンテーションで、冷戦期におけるチェコスロヴァキアの情勢について発表した。中でも、その時期に起こった「プラハの春」と「ビロード革命」を中心に扱った。このレポートでは、プレゼンテーションでは紹介しきれなかった出来事や、他の国々の動きに関しても着目し、考察していきたいと思う。
　ソ連では、1953年にスターリンが亡くなってからフルシチョフが第一書記の座に就いた。そのフルシチョフは1956年から「スターリン批判」を行い、スターリンの独裁と恐怖政治を暴露し、「非スターリン化」を行った。当初フルシチョフが1956年2月25日に行ったスターリン批判演説は、活字で公表されず、限定的に知られていたことだったが、後にアメリカ国務省が公表したことで知れ渡った。この影響は、ソ連国内だけでなく、東欧諸国やアジアの社会主義陣営にも広まり、各地で民主化を目指す動きがあった。もちろん、チェコスロヴァキアも例外ではない。このスターリン批判後におけるチェコスロヴァキアの民主化運動を「プラハの春」と呼ぶ。スターリン批判の後、民主化運動がすぐ開始されたハンガリーでの「ハンガリー動乱」やポーランドでの「ポズナン暴動」などと比較すると、チェコスロヴァキアでは少し遅れて1968年から民主化運動が開始された。まずはその背景を見ていこうと思う。
1950年代のチェコスロヴァキアの経済の状況は他の東欧諸国と同じように好調だった。しかし、60年に社会主義共和国憲法が採択され、「チェコスロヴァキア社会主義共和国」と国名が変更されると、61年から日用品をはじめとした様々な物が不足するという著しい経済の不調に悩まされた。そこで、ノヴォトニー共産書記長が経済改革を推進した。また、それに反対する共産党内の保守派をなだめるために政治改革も同時に進めなければいけない事態になった。この時、ノヴォトニーはソ連に対して助けを求めたが、ソ連側が彼を見放し、ソ連からの支持を得られなくなったノヴォトニーは68年1月に辞任に追い込まれた。その後、ノヴォトニーに代わって、穏健改革派のドゥプチェクが指導者となった。このドゥプチェクが「人間の顔をした社会主義」というテーマを掲げて自由化政策を開始した。内容としては、言論の自由、複数政党..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[バルト三国における言語政策]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/147653/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rurunya]]></author>
			<category><![CDATA[rurunyaの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 01 Mar 2022 12:35:17 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/147653/" target="_blank"><img src="/docs/918829665482@hc22/147653/thmb.jpg?s=s&r=1646105717&t=n" border="0"></a><br /><br />ゼミ論文です。評価はAです。バルト三国の言語政策についてだけでなく、言語がなぜ重要なのかという点や旧ソ連圏の言語状況にも触れています。目次は以下の通りです。
目次：
概要
はじめに
1.言語保存の重要性
2.ロシア・ユーラシア地域[330]<br />ゼミ論文
バルト三国における言語政策～旧ソ連諸国と比較して～
目次：
概要
はじめに
1.言語保存の重要性
2.ロシア・ユーラシア地域における言語状況
2-1-1帝政時代
2-1-2ソ連時代
2-2-1ウクライナ
2-2-2ベラルーシ
2-2-3モルドバ
2-2-4 中央アジア
2-2-5 カフカス
3.バルト三国における言語政策
3-1エストニア
3-2ラトビア
3-3リトアニア
おわりに

概要：
　私たちは普段「ことば」を使って人と人とのコミュニケーションをしている。言語とは、「文化」を構成する重要な要素である。例えば、ロシアは多民族国家であり、様々な民族が存在している。その中にはスラヴ系の民族の他に、アジア系の民族などがいる。しかし、ロシア人はロシアという国家よりもロシア語と同様のインド・ヨーロッパ語族、スラヴ語派であるチェコ人などの東欧諸国との結びつきを大切にしている。このように、言語は人々の距離を近づかせる媒体である。しかし、世界には多くの言語や方言が存在する一方で、徐々に言語が消滅していっている。私はこの論文で、歴史的背景や言語政策からどのようにして言語が排除されていったのかを検証し、ロシア・ユーラシア地域、特にバルト三国において、他の地域と比較しながら言語の保存のためにどのようなことをしているのかを考察していきたい。
　調べていく過程で、ロシアにおける言語政策や状況が他の地域と異なることが予想される。そのために、どのような方法で言語の消滅を防いでいたのか、また現在どのような取り組みを行っているかを考察出来たらいいと思っている。
　この論文を執筆することで、ロシア・ユーラシア地域だけではなく世界における言語状況を把握することができ、他の地域での言語の保存活動に適用することができると考える。

（本文）
はじめに
　世界にはどのくらいの言語が存在するのだろうか。この問いには、およそ6000～7000もの言語が存在しているとされている。しかし、学者によってその回答は異なる。その理由の一つに「言語」と「方言」の違いがある。例えば、日本でも津軽弁など東北の方言は通じにくかったり、沖縄の言葉である「琉球語」はいまだに「方言」なのか「言語」なのかということに関して論争があったりする。また、世界に目を向けてみると、旧ユーゴスラヴィアでは「セルビア・クロアチア語」..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[上智大学　中東欧地域研究入門　期末レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/147650/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rurunya]]></author>
			<category><![CDATA[rurunyaの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 01 Mar 2022 08:51:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/147650/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/147650/" target="_blank"><img src="/docs/918829665482@hc22/147650/thmb.jpg?s=s&r=1646092299&t=n" border="0"></a><br /><br />上智大学の開講科目中東欧地域研究入門の期末レポートです。評価はBです。[103]<br />中東欧地域研究入門２　期末レポート
トピック：「チェコにおける表現の自由」

　現在、世界で多くの国で表現の自由が保障されている。一方で、まだ北朝鮮など言論統制されている国もあり、同様に数十年前のチェコスロヴァキアでも自由に意見をいうことが難しかった。そのような状況で、彼らは音楽やアニメなどを用いて自らの意見を表現し、自由のために闘った。
　そもそも、表現の自由とはなんなのだろうか。1789年8月26日に出された「フランス人権宣言」の第11条では、「思想および主義主張の自由な伝達は、人間のもっとも貴重な権利の一つである。」と記されている。また、日本国憲法第21条1項には、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」と記されている。これは、人間には自由に物事を考え、自由に発言する権利があるということである。
　第二次世界大戦後の冷戦下において、東欧諸国はソビエト社会主義共和国連邦の影響で、社会主義化していった。1968年にチェコスロヴァキアで共産党第一書記にアレクサンデル・ドゥプチェクが就任すると、彼は共産主義の体制を改革するため、「人間の顔をした社会主義」を掲..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[マスメディア論B 期末レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/147636/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rurunya]]></author>
			<category><![CDATA[rurunyaの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 28 Feb 2022 15:08:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/147636/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/147636/" target="_blank"><img src="/docs/918829665482@hc22/147636/thmb.jpg?s=s&r=1646028500&t=n" border="0"></a><br /><br />マスメディア論の期末レポートです。評価はBでした。言論の自由に着目しています。[115]<br />マスメディア論B　期末レポート　

　私はこのレポートでソ連とロシアのマスメディアを戦争・紛争に焦点を当てて考察をする。以前行ったプレゼンテーションでは、「プラハの春」をテーマに説明したが、今回はその他の出来事とも関連させて考えていく。
　そもそも、ソ連とはソビエト社会主義共和国連邦と呼ばれる国家の略称であり、ロシア帝国のツァーリ（ロシア語で皇帝の意味）であるニコライ二世が退位し、ロマノフ朝が滅びた後、1917年のロシア革命によってできた国である。第二次世界大戦後のソ連はアメリカと冷戦になった。共産圏を拡大させるために、コミンフォルム（共産情報局）を発足させた。これにより、東欧諸国は自由を奪われた。ソ連の国民や東欧諸国では、フルシチョフと呼ばれるソ連の最高指導者が現れるまで、ソ連では彼の前に実権を握っていたスターリンを称えるようにさせられていた。しかし、フルシチョフは1956年にスターリン批判を行った。この影響で、東欧諸国が次々と反ソ暴動を起こした。その中で、チェコスロヴァキア共和国で起こった反ソ暴動を「プラハの春」と呼ばれた。プラハの春では、マルタ・クビショヴァと呼ばれる歌手が、歌を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中央大学法学部通信教育課程　２０２０年　地理 第3課題　B評価]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930129924854@hc18/138015/]]></link>
			<author><![CDATA[ by C'sf*ckin'idiot]]></author>
			<category><![CDATA[C'sf*ckin'idiotの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 28 Jul 2019 17:10:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930129924854@hc18/138015/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930129924854@hc18/138015/" target="_blank"><img src="/docs/930129924854@hc18/138015/thmb.jpg?s=s&r=1564301407&t=n" border="0"></a><br /><br />２０２０年度、中央大学法学部通信教育課程 地理 第３課題です。B評価でした。[108]<br />1. ロシア革命
第一次世界大戦中の1917年11月7日、ボリシェヴィキが武装蜂起により権力を掌握し、翌年ロシア社会主義連邦ソヴィエト共和国の成立を宣言した。それを受け22年、ロシア、ウクライナ、ベロルシア、ザカフカス連邦の四共和国によって、ソヴィエト社会主義共和国連邦が形成された。
革命後、ソヴィエト政権は社会主義政策を進めたが、その結果、経済は混乱を極める。農民たちの抵抗を収めるため、レーニンの強い希望によりネップが採用されるが、工業管理機構における機能不全、農民層の反乱により、ネップによる市場的関係の維持は難しくなる。そこで、スターリン主導の下、政府は第一次五カ年計画を策定し、重工業の発展、農業の全面的集団化を目指した。
2.スターリンの独裁化
支配力を強めた、党・政府機関により五カ年計画は強行に推し進められ、工業は急速な発展を遂げる。しかしその成功の陰で凄惨なテロルが繰り返された。キーロフ暗殺事件に端を発し、スターリン派か否かに関わらず、党・政府の幹部らが処刑され、一般国民の多くも犠牲となった。こうした広範なテロルによって党、政府、軍に対する保安機関の影響力が強まり、保安機関を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Animal Farmとスターリン]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/shiryoshitsu0335/83142/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Statsy]]></author>
			<category><![CDATA[Statsyの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 13 Jul 2011 18:10:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/shiryoshitsu0335/83142/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/shiryoshitsu0335/83142/" target="_blank"><img src="/docs/shiryoshitsu0335/83142/thmb.jpg?s=s&r=1310548207&t=n" border="0"></a><br /><br />Animal Farmがどう歴史上の事実を反映しているかを問う。
英語。[84]<br />Shizuka Tanaka
13/12/09
IES A (2) Mr. Moraga
E2D5
&#039;Oh, The Chaos By Dictators&#039;
Joseph Stalin, who is a dictator in the Russian Revolution, kills a rival Trotsky and uses propaganda well to make people believe he is the greatest leader. Compared with Stalin, Napoleon, a pig who is the leader of Animal Farm, takes products from animals, kills a rival cruelly, and uses a messenger. In Animal Farm, Napoleon could raise more power by doing three things, controlling animals well, getting dictatorship dramatically and getting an environment for it.
Napoleon can get animals controlled well because the pigs are by far smarter than any other animal. Therefore, the pigs have a chance to choose to control animals. Snowball, a pig, chooses not to control them, but Napoleon does. For the first example, Napoleon makes Squealer, a pig who is the main character, say &#039;we pigs are brainworkers. We drink that milk and eat apples&#039; (Orwell, P.35) Milk and apples should be shared with all animals because t..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[経済学原論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960471950769@hc08/66826/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kino77happy]]></author>
			<category><![CDATA[kino77happyの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 10 May 2010 22:04:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960471950769@hc08/66826/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960471950769@hc08/66826/" target="_blank"><img src="/docs/960471950769@hc08/66826/thmb.jpg?s=s&r=1273496670&t=n" border="0"></a><br /><br />約3500年前に地球の平均気温が急激に下がり、寒冷乾燥となり、人間の食料が減った。乾燥のため人間は川周辺に集まり、争いや戦いが起こった。それによって文明開化し、長江流域には集約農業（水田稲作）が発達した。文明は余剰に繋がった。このように約3500年前には灌漑技術や水稲作、品種改良などの農耕と牧畜の集約的技術革新が起きた。約3500年前の気温の急激な変化により、米を元に米を作る再生産の発生で、量的な比軸ができ、自給自足が定着した。自給自足をすることで生活は安定する。しかし、多様性を犠牲にしなければならない。失われた多様性の代償として交換が始まった。また、自給自足によって失われたものを補う行為のことを交換衝動という。人間は交換をするために自発的な旅をし始めた。個々人が起こす自発的な旅はやがて村と村の関係へと繋がる。交換のスタイルによって社会も交換され関係が広がっていった。交換という行為が非市場経済の始まりと考えることができる。交換は、互酬・再分配・交易に分けることができる。
互酬とは決まった相手との間で財やサービスのやり取りを繰り返し行なうことだ。互酬の支える社会構造は、対称性（平等性）の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[平和政策から見る冷戦後の世界情勢]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/61824/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 12 Jan 2010 15:16:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/61824/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/61824/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/61824/thmb.jpg?s=s&r=1263276968&t=n" border="0"></a><br /><br />平和政策から見る冷戦後の世界情勢
　大芝亮編『平和政策』について評判し、紹介している。以下のような本書の要約と評価について書かせている。
　第1部の国際紛争についてどういうふうに捉えるのかについて、総数5章の中で、リアリズム（現実主義）、リベラリズム（理想主義）の構造、冷戦後の紛争から捉え、こうした紛争構造を深く取り入れ、アイデンティティからの政治的問題、文明との衝突、グローバリゼーションの拡大による新しい紛争構造の形成である。
　また、紛争の予防するための国際法、国際組織の取り組み、特に国際連盟の失敗から国際連合の形成まで、国連による平和維持するための活動について深く議論していた。地域機構の再登場、国連のような大きな組織から細分化され、各地域機構による平和維持と協力体制を行った。所謂、欧州モデルの脱却し、地域的にアプローチを成り立った。
　そのため、新しい経済組織の構想も生み出し、各国間も自由貿易を通じて平和活動を行ったが、冷戦期の封じ込め政策による南北問題も取り入れ、自由貿易、経済発展による政治民主化、平和政策への道を進めたとはいえ、新たの問題にもなり、国の内部の政..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[冷戦から現代]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35702/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 30 Jan 2009 15:41:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35702/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35702/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/35702/thmb.jpg?s=s&r=1233297701&t=n" border="0"></a><br /><br />冷戦から現代まで
　1.冷戦への道
　　a.戦後国際関係の形成
1941年8月の大西洋憲章により、米国が戦後国際秩序の原則を確保し、IMFと世界銀行が立ち上がり、GATTの調印した事により、米国が戦後世界の政冶力と経済力を支える存在となる。[322]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ソヴィエト占領下のドイツでなされた土地改革について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960229219788@hc09/34049/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hito529]]></author>
			<category><![CDATA[hito529の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 18 Jan 2009 18:35:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960229219788@hc09/34049/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960229219788@hc09/34049/" target="_blank"><img src="/docs/960229219788@hc09/34049/thmb.jpg?s=s&r=1232271351&t=n" border="0"></a><br /><br />ソヴィエト占領下のドイツでなされた土地改革について、ドイツにおける大土地所有制の歴史をふまえて説明する。

ソヴィエトの対ドイツ政策に関して
第二次世界大戦で、ドイツが敗北し、連合軍に無条件降伏した。
ソ連が占領状態に置いていたベル[344]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日ソ国交回復交渉]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/28783/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 09 Nov 2008 05:55:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/28783/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/28783/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/28783/thmb.jpg?s=s&r=1226177748&t=n" border="0"></a><br /><br />日ソ国交回復交渉について
はじめに
1952年4月にサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約が発効し、日本は独立国家として国際社会に復帰した。しかし、これは自由主義諸国との単独講和であったため、講和後の日本には、国際社会への復帰を完全なも[346]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[スターリンニズム]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961753980885@hc08/22638/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 10e0275]]></author>
			<category><![CDATA[10e0275の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 23 Jul 2008 13:08:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961753980885@hc08/22638/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961753980885@hc08/22638/" target="_blank"><img src="/docs/961753980885@hc08/22638/thmb.jpg?s=s&r=1216786139&t=n" border="0"></a><br /><br />スターリンの独裁体制の特徴と問題点
10e0287
藤田　達也
スターリンがトップになったソ連は統率の低いレーニン指導の下、いい感じに派閥抗争に明け暮れていました。しかし、スターリンは一連の大粛清で二千万もの人々を処刑して統治上の問題を一挙[340]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[⑤‐冷戦の終結とソ連の解体]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961753980885@hc08/22636/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 10e0275]]></author>
			<category><![CDATA[10e0275の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 23 Jul 2008 13:06:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961753980885@hc08/22636/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961753980885@hc08/22636/" target="_blank"><img src="/docs/961753980885@hc08/22636/thmb.jpg?s=s&r=1216786006&t=n" border="0"></a><br /><br />５－冷戦の終結とソ連の解体
ペレストロイカ
ロシア語:『再編』や『建て直し』の意。
暗黙の社会契約と言われた『停滞』－社会主義体制による賃金保障のため、働かなくても給料が払われる－や、『腐敗』、『職権乱用』等を打開するためゴルバチョフが打ち[352]<br />]]></description>

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			<title><![CDATA[占領政策の転換と主権回復]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/17672/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 11 Jan 2008 18:20:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/17672/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/17672/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/17672/thmb.jpg?s=s&r=1200043209&t=n" border="0"></a><br /><br />　本稿では、冷戦体制の激化という戦後の国際情勢の概要を押さえながら、それに伴うアメリカの占領政策の転換について確認していきたいと思う。
第二次世界大戦中、ともに連合国として戦ったアメリカとソ連は、1945(昭和20)年に国際平和維持のために[342]<br />　本稿では、冷戦体制の激化という戦後の国際情勢の概要を押さえながら、それに伴うアメリカの占領政策の転換について確認していきたいと思う。
第二次世界大戦中、ともに連合国として戦ったアメリカとソ連は、1945(昭和20)年に国際平和維持のために発足した国際連合においても、安全保障理事会の常任理事国として中心的役割を果たした。しかし、戦後国際秩序をめぐる両国の対立は、次第に深まり、アメリカを中心とする資本主義陣営(西側)とソ連を中心とする社会主義陣営(東側)の対立の、いわゆる｢冷たい戦争(冷戦)｣が国際情勢を左右するようになっていった。
　戦後のアジアでは、欧米諸国や日本の植民地支配下にあった諸民族..]]></description>

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			<title><![CDATA[ 中国共産党の中国国民党内部での情報操作、工作活動について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431689901@hc05/9681/]]></link>
			<author><![CDATA[ by fraisefraise]]></author>
			<category><![CDATA[fraisefraiseの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 16 Jul 2006 01:07:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431689901@hc05/9681/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431689901@hc05/9681/" target="_blank"><img src="/docs/983431689901@hc05/9681/thmb.jpg?s=s&r=1152979631&t=n" border="0"></a><br /><br />1917年、ロシア革命によってソビエト政府が樹立されると、ソビエト政権はマルクス・レーニン主義の宣伝、共産党勢力の拡大に励んだ。レーニンは、一挙に世界革命を実現しようとし、そのねらいはヨーロッパに向けられたが、しかしこれに失敗すると、こんど[352]<br />「中国共産党の中国国民党内部での情報操作、工作活動について」
1917年、ロシア革命によってソビエト政府が樹立されると、ソビエト政権はマルクス・レーニン主義の宣伝、共産党勢力の拡大に励んだ。レーニンは、一挙に世界革命を実現しようとし、そのねらいはヨーロッパに向けられたが、しかしこれに失敗すると、こんどは一転してアジアを目指した。その最大の目標が中国であった。政情が不安定な中国は、ソ連が共産主義の種を撒くには、じつに好都合な地であったのである。このレポートでは、1927年国共分離するまでに、中国共産党とその背後にあったソ連がいかにして中国国民党内部で情報操作、工作活動を行ったかについて記述したい。彼らの活動は情報活動に留まらないものであるが、ソ連の後押しが常に背後にあったことに注目したい。
中国共産党の成立には、背後にソ連の動きと中国国内における陰謀の数々があった。中国共産党は、ソ連の作り出したものであった。ソ連共産党は、まず国民党の機関を通じて労働者、農民たちを組織し、国民党の名を借りてその階級闘争を隠した。その目的は中国国民革命の独立した戦いの過程において、ソ連の傀儡政権を作りあげ、..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[ 冷戦]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430247101@hc06/9121/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sorasora]]></author>
			<category><![CDATA[sorasoraの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 21 Jun 2006 23:22:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430247101@hc06/9121/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430247101@hc06/9121/" target="_blank"><img src="/docs/983430247101@hc06/9121/thmb.jpg?s=s&r=1150899731&t=n" border="0"></a><br /><br />冷戦の起因は、１つはアメリカとソ連を中心にした東西両陣営により、世界は分極化し、資本主義と社会主義という二つの異なるイデオロギーを信奉する米ソ両国を頂点とするブロックの対立であった。２つめは共産主義勢力の拡大に脅威を感じたアメリカのトルマー[360]<br />冷戦の起因は、１つはアメリカとソ連を中心にした東西両陣営により、世界は分極化し、資本主義と社会主義という二つの異なるイデオロギーを信奉する米ソ両国を頂点とするブロックの対立であった。２つめは共産主義勢力の拡大に脅威を感じたアメリカのトルマーンは共産主義の封じ込め政策を行ったことである。３つ目はソ連がヨーロッパとアジアで自らの安全保障を限定とされた勢力圏を作ろうとしたが、これにアメリカが過剰反応したことだ。いわゆる巻き返し政策だ。
世界を二分し、この二つの陣営の間は、経済的、人的、情報の交流が少なく、チャーチルは「鉄のカーテンがおろされている」と表現した。
冷戦はまずヨーロッパで展開された。この..]]></description>

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