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		<title>タグ“カルト宗教”の公開資料</title>
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			<title><![CDATA[異端「モンタノス主義」に見る、現代「カルト宗教」との奇妙な符合［早稲田・文学部・評価A］]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/7199/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kenjiro55]]></author>
			<category><![CDATA[kenjiro55の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 04 Mar 2006 00:55:01 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/7199/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/7199/" target="_blank"><img src="/docs/983430795301@hc06/7199/thmb.jpg?s=s&r=1141401301&t=n" border="0"></a><br /><br />１世紀の終わりから４世紀に至るまでの間、キリスト教では外部からの迫害と、内部の分裂すなわち「異端」という、２つの大きな問題が生じた。「異端」問題としては、１世紀の終わりから２世紀の初めにかけて出てきた「グノーシス主義」が広く知られるところで[360]<br />異端「モンタノス主義」に見る、現代「カルト宗教」との奇妙な符合
　１世紀の終わりから４世紀に至るまでの間、キリスト教では外部からの迫害と、内部の分裂すなわち「異端」という、２つの大きな問題が生じた。「異端」問題としては、１世紀の終わりから２世紀の初めにかけて出てきた「グノーシス主義」が広く知られるところであり、その他「マルキオン派」なども有名であるが、本レポートでは少々マイナーではあるが「モンタノス主義」に興味を持ったので、これについて考察してみたい。
　２世紀の大部分の教会にあって、キリストがまもなく再びやって来るという初代教会の希望は、やや薄らいできていた。また、聖霊の変わらざる感動という意識こそが使徒的教会の特質であったが、これもまた衰えを見せてきていた。つまり、聖霊の現前の働きの直接性が弱まると共に、聖霊が啓示の作用であるというところに、その意義が存するという強調が増大してきた。
　そうした時代にあって、モンタノス主義は、グノーシス主義とは異なり、キリスト教の内部から起こった運動である。それは当時教会の中に既に働いていた世俗的傾向からの反動であった。この派は、小アジアのフリュギ..]]></description>

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