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		<title>タグ“エロス”の公開資料</title>
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		<description>タグ“エロス”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[キリスト教　ニグレンのアガペ論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956571374092@hc10/64733/]]></link>
			<author><![CDATA[ by amgellll000]]></author>
			<category><![CDATA[amgellll000の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 15 Mar 2010 15:30:03 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956571374092@hc10/64733/" target="_blank"><img src="/docs/956571374092@hc10/64733/thmb.jpg?s=s&r=1268634603&t=n" border="0"></a><br /><br />1936年に『エロスとアガペ』という著作を出版したスウェーデンの神学者ニグレンは、ギリシャ哲学の愛はエロスであり、エロス的な要素を含まない純粋なアガペこそが、キリスト教本来の愛であると規定し、アガペ論を論じている。本レポートにおいては、はじ[352]<br />1936年に『エロスとアガペ』という著作を出版したスウェーデンの神学者ニグレンは、ギリシャ哲学の愛はエロスであり、エロス的な要素を含まない純粋なアガペこそが、キリスト教本来の愛であると規定し、アガペ論を論じている。本レポートにおいては、はじめにニグレンのアガペ論とはどういうものかを述べ、その後、そのアガペ論に対する批判をする。
新約聖書において、キリスト教の根本モチーフである「愛」は、すべて「アガペ」というギリシャ語によって表現されている。それ故にニグレンは、キリスト教は本質的にアガペとしての愛の宗教である、という点を真っ先に指摘し、また、アガペの性格を「神の愛にかかわる限りにおけるキリスト教の愛の観念」であるとした。アガペの４つの特徴を挙げ、ニグレンのアガペ論の内容を述べる。
１、　　―　アガペは自発的で動機づけられない　―
律法主義の社会においては、律法を守る人間は、神から愛される「義人」であり、律法を破る人間は、神から憎まれる「罪人」であった。それに対し、イエスは自分の能動性に基づいて、律法主義者の非難に屈することなく、自分が愛したいと思う人々を自発的に、積極的に愛した。神が人間..]]></description>

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			<title><![CDATA[『ジェンダーフリーとエロティシズム　（バタイユ～ＢＬ嗜好、ロリコンまで）』]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958975975936@hc09/50927/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sadaji0422]]></author>
			<category><![CDATA[sadaji0422の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 10 Jun 2009 01:51:18 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958975975936@hc09/50927/" target="_blank"><img src="/docs/958975975936@hc09/50927/thmb.jpg?s=s&r=1244566278&t=n" border="0"></a><br /><br />「ジェンダー・フリーの時代にエロティシズムは可能か」というテーマについて、このレポートでは、バタイユ著『エロティシズム』を中心に、ジェンダー・フリーとエロティシズムについて考えていくが、まず、論に明確さと普遍性を与えるために、ジェンダー・フ[360]<br />「ジェンダーフリーの時代とエロティシズム」　　　　　　　　　　　　　 
「ジェンダー・フリーの時代にエロティシズムは可能か」というテーマについて、このレポートでは、バタイユ著『エロティシズム』を中心に、ジェンダー・フリーとエロティシズムについて考えていくが、まず、論に明確さと普遍性を与えるために、ジェンダー・フリーの概念をより極端に、最も徹底した形で規定したいと思う。このレポートの中で「ジェンダー・フリー」と言う場合、加藤秀一著『性現象論－差異とセクシャリティの社会学』の中にあるごとく、性別差異、性別役割を社会通念による産物であるとして、本質的、普遍的な意義の無いものとし、また医学を根拠とした性別そのものも、「有性生殖に重大な意味づけをしている限りにおいて存在する」社会的な規範に過ぎないと捉らえる。
さて、ではエロティシズムについてであるが、バタイユ『エロティシズム』の主軸となる論とは、エロティシズムの本質は、禁止を侵犯するところにあり、エロティシズムを支配しているのは、死と存在の連続性である、というものである。このバタイユの論に寄り掛かってエロティシズムの存在の可否のみを探ることは難..]]></description>

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			<title><![CDATA[倫理学]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431317101@hc05/6478/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kingyo]]></author>
			<category><![CDATA[kingyoの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 09 Feb 2006 15:24:16 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431317101@hc05/6478/" target="_blank"><img src="/docs/983431317101@hc05/6478/thmb.jpg?s=s&r=1139466256&t=n" border="0"></a><br /><br />課題?
　恋と友情は、共に非常に利己主義的である。
　この二つの似ている箇所としてまず、恋愛でも友情でも、共通している要素が三つある。一つ目は動物的な決定要素があるということ、つまり相手のルックスや生活スタイル、息遣いなどすべてをまとめ[350]<br />倫理学Ⅱ課題レポート
課題Ⅰ
恋と友情は、共に非常に利己主義的である。
この二つの似ている箇所としてまず、恋愛でも友情でも、共通している要素が三つある。一つ目は動物的な決定要素があるということ、つまり相手のルックスや生活スタイル、息遣いなどすべてをまとめて、見た瞬間、本能的な部分で「自分はこの人と合うか合わないか」ということを決める。
二つ目は、恋愛も友情も自分の努力の量に比例しているということ。自分がある人間に対して努力すると、それに見合うだけの感情が出てくる。どちらにおいても手間ヒマはかかるが、損をしたくはない。ある程度の関与をしないと成立することはないのである。
三つ目の要素は、「メリットがあるかどうか」ということである。しかしこの要素は、両者に共通すると同時に、決定的な違いでもある。同じ「メリット」でも、自分の人間としての種の生き残りにメリットがあるのが恋愛で、自分の個人的な生き残りにメリットがあるのが友情である。つまり、子孫を作って生活していく上で成功するかどうかというような本能的な感情が恋愛感情で、困ったときに助けてくれるなど、個人の存続にメリットがある場合が友情である。
..]]></description>

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