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		<title>タグ“アジア史”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E5%8F%B2/</link>
		<description>タグ“アジア史”の公開資料</description>
		<language>ja-JP</language>
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		<managingEditor>cs@happycampus.co.jp</managingEditor>
		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[【東洋の歴史】（アジア史）科目最終試験対策【2018年90点合格】]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/931618156911@hc18/134048/]]></link>
			<author><![CDATA[ by fy_st14]]></author>
			<category><![CDATA[fy_st14の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 28 May 2018 14:08:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/931618156911@hc18/134048/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/931618156911@hc18/134048/" target="_blank"><img src="/docs/931618156911@hc18/134048/thmb.jpg?s=s&r=1527484110&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学「東洋の歴史」（アジア史）
科目最終試験過去問6題とその答案です。

東洋の歴史・アジア史という科目ならば
科目最終試験の問題は同一のため対応できます。
この6問の中から出題されており
これさえ勉強すれば合格できると思い[332]<br />次の事項から一つを選択し、文化の具体的内容と特徴について述べよ
➀前漢・後漢の文化　⓶明代の文化　⓷清代の文化　⓸新文化運動
➀を選択する。
漢とは紀元前3世紀末に秦が倒れ、劉邦が建国したものであり、途中王莽による「新」王朝が挟まったものの、紀元後2世紀ごろまで続いた王朝である。この王莽による中断により、「前漢」「後漢」と区別することが多い。本稿では前漢・後漢時代の学問や書道などの文化面について述べていく。
　漢初期では、無為自然を掲げる思想が広まっていたが、国の基礎が固まるにつれ儒学を学ぶものが多くなっていった。武帝は董仲舒の進言を受け入れ官吏登用制度として儒学の精神に基づくものを創設し、また五経博士を置きそのもとに弟子をつけて教育させるなど、儒学を政府公認の学問とした。いわゆる儒学の官学化である。漢代の儒学には三つの特徴があり、第一に儒学が著しく形式主義となったことだ。官学化された儒学は皇帝の尊厳化の道具として使用されたのである。第二に儒学の多様化が挙げられる。学問が儒学に統一されると、他の学派も吸収して変質せざるを得なくなった。第三は訓詁学である。これは儒学の経典の一字一句の意味を確定する学問であり、これが発達したのである。
　またこの時代は歴史学も新しい発展を見せた。司馬遷の「史記」がその代表であり、人物の伝記である紀伝体で記述し、この方法は高く評価された。後漢時代には班固が「史記」にならって、前漢の歴史書である「漢書」を記した。
　書道においては、秦代から用いられていた、隷書が漢代の公用文字使用されていた。しかし官僚組織の整備、文書行政が進展するにつれて記録や書簡にはより敏速に書くことのできる草書や行書が隷書体から生まれたとされる。一方で書写の材料は、木簡・竹簡・絹であったが、絹は高価、木簡・竹簡はその形状から筆遣いが制約されてしまい、書道の発展の妨げとなっていた。書道が本格的に発展するのは、後漢の宦官、蔡倫が木の繊維や麻くずなどを材料として安価な「紙」の製法を発明し、紙上に自由に運筆できるようになってからのことである。この紙の発明は言うまでもなく、世界中に大きな影響を与え現代でも広く普及している。
　以上のように漢代では、儒学が官学化され国の政治制度にも影響を与えていたことや、歴史学・書道において後世にも影響を与える大きな進展があったのである。
次の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[歴史学（アジア史）最終レポート（早稲田/社会科学部）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938427119006@hc15/122968/]]></link>
			<author><![CDATA[ by midorichan]]></author>
			<category><![CDATA[midorichanの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 16 Dec 2015 13:48:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938427119006@hc15/122968/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/938427119006@hc15/122968/" target="_blank"><img src="/docs/938427119006@hc15/122968/thmb.jpg?s=s&r=1450241326&t=n" border="0"></a><br /><br />早稲田大学/社会科学部/講義「歴史学（アジア史）」最終レポート
テーマ：書評
Ａ評価[118]<br />歴史学（アジア史）最終レポート
内容書評『韓国・半日症候群』を読んで
Ⅰ・内容要約 
(1)従軍慰安婦と歴史教科書問題 
日本と韓国の間で従軍慰安婦問題では韓国と日本の主張が大きく違っている。韓国側は元慰安婦女性たちの証言を『日帝下軍隊慰安婦女実態調査中間報告書』として公式文書として発表している。しかし、韓国政府の報告書は根拠が薄く、証言が矛盾している。 
韓国は「まず本質あり」(34ページ，10行目)といった一種の原理主義でこの問題をとらえている。つまり、旧日本軍に従軍慰安婦という制度があり、現に元従軍慰安婦が存在したという事実だけで日本が強制性を認め謝罪し反省するには十分であるということである。それに対して日本は具体的な資料の積み重ねで問題に迫ろうという姿勢である。よって、日韓の間で摩擦が生じるのである。 
　歴史教科書問題だが、韓国は日本の歴史教科書における従軍慰安婦の記述に異議を申し立てる。では韓国では従軍慰安婦の記述はどうなのかというと、1940年代は空白となっている。韓国歴史教科書では1910年以降の植民地時代を含めた近代史は強烈な抵抗史観で書かれているからだ。40年代では..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アジア史第一・第二設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/93984/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ＊＊るか＊＊]]></author>
			<category><![CDATA[＊＊るか＊＊の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 05 Jun 2012 13:18:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/93984/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/93984/" target="_blank"><img src="/docs/950915929819@hc11/93984/thmb.jpg?s=s&r=1338869909&t=n" border="0"></a><br /><br />2012年度　アジア史第一、第二設題セットです

第一設題：儒教・道教・仏教は中国社会を理解する上で大きな意味をもつ思想である。これらのなかから一つを選択して、それを中国の歴代王朝がどのように取り扱ってきたのかについて述べよ
*儒教を選択し[344]<br />第一設題：(a)儒教・道教・仏教は中国社会を理解する上で大きな意味をもつ思想である。これらのなかから一つを選択して、それを中国の歴代王朝がどのように取り扱ってきたのかについて述べよ
　本レポートでは、儒教を取り上げることとし、以下では、儒教の誕生とその思想の概要、さらに中国歴代王朝が儒教をどのように取り扱ってきたのかについて述べる。
1．儒教と孔子　
儒教の創始者は孔子である。彼は、春秋時代の魯の生まれで、洛陽で周の官吏から周の制度・儀礼を習った。彼は周的な礼の秩序をもって混乱した社会を周の初期のころの状態に復帰させることを目的とし、徳治主義を唱えた。人間の愛情(仁)がもっとも強いのは家族愛であるから、各人がその心を推し広げれば天下はおのずから平和になるというのが彼の政治思想である。当時は、孔子の思想を理想論であると見て受け入れる諸侯は無かったが、彼の死後、儒教は孟子などの優れた弟子たちによって支持層を広げ、漢代には武帝により国教とされるに至った。以来儒教は、中国の政治や社会の思想的基盤として重んじられることとなった。
2．中国歴代王朝における儒教の取り扱い
　以下では、春秋戦国時代に孔子によって創始された儒教がそれ以降の各時代においてどのように取り扱われてきたかについて述べる。
2－1．春秋戦国時代(前770―前221）
孔子が生まれた時代である春秋戦国時代には、周王朝の権威の衰退が進むとともに、実力本位の下剋上の風潮が強まった。そうした中で、孔子が創始した儒教は、周時代の礼節を重んじる徳治主義を主張したため、覇権を争う諸侯からは時代の流れにそぐわない理想主義と捉えられ、用いられることはなく普及しなかった。
2－2．秦時代（前221―202）
秦の始皇帝は、宰相に李斯を登用し法家理念に基づき皇帝独裁と中央集権体制の強化に力を注いだ。法家の思想は、儒家の「礼」による規制を一歩強めて法によって規制するという考え方である。つまり、法家の理念はたぶんに儒家に根ざしていると言えるのである。しかし、「焚書坑儒」と呼ばれる学問・思想の統制を行い、主に儒家に対する弾圧を行った。
2－3．前漢・後漢時代（前漢：前202―後8）（後漢：25―220）
6代目・景帝のころに国の基礎が固まるにつれて儒学を学ぶ者が多くなってきた。次の武帝は、儒学の精神に基づいた官吏登用制度として孝廉の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アジア史第2設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/93983/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ＊＊るか＊＊]]></author>
			<category><![CDATA[＊＊るか＊＊の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 05 Jun 2012 13:18:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/93983/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/93983/" target="_blank"><img src="/docs/950915929819@hc11/93983/thmb.jpg?s=s&r=1338869904&t=n" border="0"></a><br /><br />2012年度　アジア史のレポートです
第二設題：太平天国が成立した背景、およびそれがめざした社会について述べよ[155]<br />第二設題：(a)太平天国が成立した背景、およびそれがめざした社会について述べよ
太平天国は、政治・経済・文化など全面にわたる変革を志向した一つの全体的な革命であったとされているが、本稿ではそうした太平天国の成立・発展・崩壊の過程を踏まえて、成立の背景を明らかにし、あわせて政策に裏付けられた、目指す国家像がどのようなものであったかについて記述していくこととする。
1．太平天国成立の背景
　太平天国が成立した背景には、アヘン戦争(1840～1842年)による敗北と南京条約に始まる一連の不平等条約の締結が大きく影響している。
　南京条約締結によって、上海をはじめ5つの港が開かれ、外国からの人・物が中国沿岸や内河に進出してきた。これと同時に低関税に守られたヨーロッパ商品が中国国内に流入し、貿易の中心地も広州から上海へと移動した。その結果、華中と華南を結ぶ沿海・内陸での商業活動に依存して生活していた手工業者・商人・交通運輸労働者たちは失業に追い込まれることとなった。
　さらに、アヘン戦争後に締結された南京条約には、戦争の直接の原因となったアヘン貿易に関する規定は何も無く、イギリスはその後も清朝に..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アジア史第1設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/93982/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ＊＊るか＊＊]]></author>
			<category><![CDATA[＊＊るか＊＊の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 05 Jun 2012 13:18:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/93982/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/93982/" target="_blank"><img src="/docs/950915929819@hc11/93982/thmb.jpg?s=s&r=1338869900&t=n" border="0"></a><br /><br />2012年度　アジア史のレポートです。
第一設題：儒教・道教・仏教は中国社会を理解する上で大きな意味をもつ思想である。これらのなかから一つを選択して、それを中国の歴代王朝がどのように取り扱ってきたのかについて述べよ

儒教を選択しました[340]<br />第一設題：(a)儒教・道教・仏教は中国社会を理解する上で大きな意味をもつ思想である。これらのなかから一つを選択して、それを中国の歴代王朝がどのように取り扱ってきたのかについて述べよ
　本レポートでは、儒教を取り上げることとし、以下では、儒教の誕生とその思想の概要、さらに中国歴代王朝が儒教をどのように取り扱ってきたのかについて述べる。
1．儒教と孔子　
儒教の創始者は孔子である。彼は、春秋時代の魯の生まれで、洛陽で周の官吏から周の制度・儀礼を習った。彼は周的な礼の秩序をもって混乱した社会を周の初期のころの状態に復帰させることを目的とし、徳治主義を唱えた。人間の愛情(仁)がもっとも強いのは家族愛であるから、各人がその心を推し広げれば天下はおのずから平和になるというのが彼の政治思想である。当時は、孔子の思想を理想論であると見て受け入れる諸侯は無かったが、彼の死後、儒教は孟子などの優れた弟子たちによって支持層を広げ、漢代には武帝により国教とされるに至った。以来儒教は、中国の政治や社会の思想的基盤として重んじられることとなった。
2．中国歴代王朝における儒教の取り扱い
　以下では、春秋戦国時代に..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国近代史および朝鮮近代史で重要と思われる出来事あるいは人物と歴史上における果たした役割について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55872/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zbf32097]]></author>
			<category><![CDATA[zbf32097の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Sep 2009 19:48:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55872/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55872/" target="_blank"><img src="/docs/959541612001@hc09/55872/thmb.jpg?s=s&r=1254307722&t=n" border="0"></a><br /><br />●（課題　６）中国近代史および朝鮮近代史で重要と思われる出来事あるいは人物と歴史上における果たした役割について。
まず最初に、ここでは、中国近代史のなかから1911年に起こった（辛亥革命）について取り上げて説明していきたい。19世紀半ば以[344]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[太平天国がどのような社会を建設しようとしたのか、述べなさい]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55871/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zbf32097]]></author>
			<category><![CDATA[zbf32097の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Sep 2009 19:48:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55871/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55871/" target="_blank"><img src="/docs/959541612001@hc09/55871/thmb.jpg?s=s&r=1254307719&t=n" border="0"></a><br /><br />●課題２　太平天国がどのような社会を建設しようとしたのか、述べなさい
まず初めに、太平天国の乱がおこる以前、中国は「アヘン戦争」での敗北から莫大な金額の補償金をイギリスに支払い、低関税に守られたヨーロッパ製品が国内に多く流入する状態であっ[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[辛亥革命の原因について述べなさい]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55870/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zbf32097]]></author>
			<category><![CDATA[zbf32097の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Sep 2009 19:48:37 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55870/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55870/" target="_blank"><img src="/docs/959541612001@hc09/55870/thmb.jpg?s=s&r=1254307717&t=n" border="0"></a><br /><br />●課題１　辛亥革命の原因について述べなさい。　
まず最初に（1911年）の辛亥革命は、当時の中国人の積年にわたる清朝支配への不満が爆発して起こったものであるといえる。そこで、まずは清朝の凋落と民族運動勃興の過程について眺めていきたいと私は[348]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[義和団と拝上帝会の相似点・相違点について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55869/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zbf32097]]></author>
			<category><![CDATA[zbf32097の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Sep 2009 19:48:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55869/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55869/" target="_blank"><img src="/docs/959541612001@hc09/55869/thmb.jpg?s=s&r=1254307715&t=n" border="0"></a><br /><br />●（課題　5）　義和団と拝上帝会の相似点・相違点について述べなさい。　
まず最初に、ここでは「義和団」と「拝上帝会」の二つの結社についての概説を行いつつ相似点・相違点について見ていきたい。
それぞれの結社の結成までの流れを見てみると、義[350]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[南京条約から辛丑条約にいたる諸条約を通じて清朝は列強にどのような権益を与えることになったか]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55868/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zbf32097]]></author>
			<category><![CDATA[zbf32097の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Sep 2009 19:48:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55868/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55868/" target="_blank"><img src="/docs/959541612001@hc09/55868/thmb.jpg?s=s&r=1254307713&t=n" border="0"></a><br /><br />●課題３　南京条約から辛丑条約にいたる諸条約を通じて清朝は列強にどのような権益を与えることになったか 述べなさい。
まず初めに19世紀の特に中盤を過ぎてからの中国は、まさに半植民地化の進んだ時代であった。列強と結んだ数々の条約は、中国側が[350]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アジア史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428990401@hc07/19701/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ケスト]]></author>
			<category><![CDATA[ケストの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 25 Feb 2008 16:38:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428990401@hc07/19701/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428990401@hc07/19701/" target="_blank"><img src="/docs/983428990401@hc07/19701/thmb.jpg?s=s&r=1203925123&t=n" border="0"></a><br /><br />☆中国の歴史は一面では北方民族と漢民族との闘いの歴史でもあった。北方民族の活動を軸に、両民族が政治・社会・文化のうえでどのように影響しあったかについて、具体的な事例をふまえて述べなさい。
　中国の歴史には、遊牧、もしくは狩猟採集を主たる生業[358]<br />中国の歴史は一面では北方民族と漢民族との闘いの歴史でもあった。北方民族の活動を軸に、両民族が政治・社会・文化のうえでどのように影響しあったかについて、具体的な事例をふまえて述べなさい。
　中国の歴史には、遊牧、もしくは狩猟採集を主たる生業とし、万里の長城以北を主要な居住領域とした北方民族と、農耕を主な生業とする漢民族の間で展開された抗争が多く存在する。古くは匈奴から、鮮卑、羯、氐、羌など五胡といわれた諸民族、その後の突厥や契丹、蒙古から満州族にいたるまで、漢民族との抗争は枚挙にいとまがない。
■匈奴と漢民族の抗争
　史上初めて一大勢力に成長したのは匈奴である。中国の史書に姿を現すのは紀元前３世紀の半ばごろ、戦国時代の終わりである。それ以前からも華北地方に定住をしていたと考えられるが、記録には残っていない。分裂していた中国の各国は北からの侵入に備えるために防壁を作っていた。
　やがて秦が中国を統一すると、始皇帝は扶蘇、蒙恬に命じて匈奴を北方に駆逐してオルドスの地を回復し、戦国時代に各国が匈奴防衛のためにつくった防壁を連結延長して、遼東から臨トウにいたる一大長城を構築した。この長城の威容か..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アジア史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428990401@hc07/15671/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ケスト]]></author>
			<category><![CDATA[ケストの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 08 Dec 2007 02:05:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428990401@hc07/15671/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428990401@hc07/15671/" target="_blank"><img src="/docs/983428990401@hc07/15671/thmb.jpg?s=s&r=1197047112&t=n" border="0"></a><br /><br />☆アヘン戦争から義和団運動にいたるまでの時期に、清朝政府が列強に奪われた諸権益について、具体的な事例をふまえながら述べなさい。

■アヘン戦争
　清朝は18世紀にはいると、キリスト教を禁止し、貿易を厳しく制限し、1757年以後は外国貿易を広[342]<br />アヘン戦争から義和団運動にいたるまでの時期に、清朝政府が列強に奪われた諸権益について、具体的な事例をふまえながら述べなさい。
■アヘン戦争
　清朝は18世紀にはいると、キリスト教を禁止し、貿易を厳しく制限し、1757年以後は外国貿易を広州１港に限定して粤海関（広東税関）を置き、官許特権ギルドを組織している特定の商人達（公行）に外国貿易を独占させた。これに対してイギリスでは1600年に創立された東インド会社が中国貿易を独占し、中国の絹・茶・陶磁器などをヨーロッパに運び、毛織物やインド産の綿花を中国に輸出し、その不足分を銀で補う貿易をしていた。しかし、18世紀以降、ヨーロッパ諸国での茶の需要が高まると、イギリスの対中貿易はしだいに輸入超過となり、中国への銀の流出が大きくなっていった。この片貿易を是正するために、1773年以後インド農民に栽培させたアヘンを中国へ輸出した。中国におけるアヘンの吸飲が普及するとともにアヘン貿易は拡大し、中国から銀が流出し始めた。貿易の拡大を求めるイギリスは、使節を中国に派遣して貿易の業務改善を協議させようとしたが、清朝には取り上げられなかった。
　1834年東イ..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[科挙制度]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429872201@hc06/14124/]]></link>
			<author><![CDATA[ by t1226r]]></author>
			<category><![CDATA[t1226rの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 22 Jul 2007 18:08:55 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429872201@hc06/14124/" target="_blank"><img src="/docs/983429872201@hc06/14124/thmb.jpg?s=s&r=1185095335&t=n" border="0"></a><br /><br />「科挙」
１．科挙とは
魏晋南北朝時代の国の一つ、魏の定めた九品官人法は門閥貴族の天下を可能にするという弊害を生んだ。それに九品中正法は不備が多く、しかも必要性に迫られて作られた法であり、いってみれば「過渡期」の人材登用制度である。
隋の文[354]<br />「科挙」
１．科挙とは
魏晋南北朝時代の国の一つ、魏の定めた九品官人法は門閥貴族の天下を可能にするという弊害を生んだ。それに九品中正法は不備が多く、しかも必要性に迫られて作られた法であり、いってみれば「過渡期」の人材登用制度である。
隋の文帝が、その門閥貴族主義を支える土台となった九品官人法にかわって、試験による官吏登用制度（選挙制度）として始めた制度が科挙である。家柄や財産に関係なく、広く有能な人材を確保し高級官僚に登用しようとするもので、元代に２４０年ほど中断されたものの、清代末の１９０５年に廃止されるまで、約１３００年間に渡って続けられた。
科挙の科目や機構は時代によって変化し、隋代は、秀才・明経・明法・明算・明書・進士の六科からなり、科ごとに古典的教養・文才・政論などを試験した。郷試・会試の二段階であった。この選抜制度は以後着実に発展し、中国社会全体にはかりしれない影響をおよぼした。こうした先をみすえた体制づくりは、地方行政をめぐる改革のなかにもみることができる。すなわち長期にわたる分裂のなかで、機構が肥大化また細分化して、地方分権、反中央の温床ともなっていた州郡県制の現状にた..]]></description>

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			<title><![CDATA[アジア史（）]]></title>
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			<author><![CDATA[ by manila]]></author>
			<category><![CDATA[manilaの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 14 Nov 2007 21:12:30 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430621101@hc06/15106/" target="_blank"><img src="/docs/983430621101@hc06/15106/thmb.jpg?s=s&r=1195042350&t=n" border="0"></a><br /><br />『中国社会を理解するキーポイントの一つに儒教がある。中国の歴代の王朝は儒教をどのように取り扱ってきたのか、具体的事例をふまえて述べなさい』
中国の王朝において儒教が与えた非常に影響は大きいと考えられる。儒家の創始者である孔子は、実力主義が[356]<br />『中国社会を理解するキーポイントの一つに儒教がある。中国の歴代の王朝は儒教をどのように取り扱ってきたのか、具体的事例をふまえて述べなさい』
中国の王朝において儒教が与えた非常に影響は大きいと考えられる。儒家の創始者である孔子は、実力主義が横行し、身分制秩序が崩壊しつつあった周末に魯の国に生まれた。周的な礼の秩序により混乱した社会を周初に復帰させることを目的として、徳治主義を唱えた。人間の愛情（仁）がもっとも強いのは家族愛で、その心を推し広げれば天下は平和になるという政治思想のもとで儒教が生まれた。
孔子の死後、戦国時代に入り孟子が儒家の教えを広めることとなる。孟子は人の性の本質は善であるとする性善説を唱え、有徳者の政治こそ王道政治であるとし、「徳」のない者を打倒して有徳者に交代させることは天意にかなうものとする易姓革命を主張した。
その一方、戦国末には荀子が孟子の性善説に反対し、人間の本性は利欲を求めるものであるとする性悪説を主張する。この悪を規制し善に導くには先賢の設けた「礼」によるより他に方法はないと主張した。この礼による規制を一歩強めて、法により規制すると考えるなら、そのまま法家..]]></description>

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			<title><![CDATA[アジア史2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430621101@hc06/15105/]]></link>
			<author><![CDATA[ by manila]]></author>
			<category><![CDATA[manilaの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 14 Nov 2007 21:10:30 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430621101@hc06/15105/" target="_blank"><img src="/docs/983430621101@hc06/15105/thmb.jpg?s=s&r=1195042230&t=n" border="0"></a><br /><br />『洋務運動・変法運動・革命運動の特徴および各運動の相違をふまえ、各運動が中国の近代化のなかでどのような役割を果たしたのかについて、述べなさい。』
　洋務運動は清朝の封建的な支配を維持し、伝統的な政治・社会体制を守りつつ、西洋の技術・武器を[356]<br />『洋務運動・変法運動・革命運動の特徴および各運動の相違をふまえ、各運動が中国の近代化のなかでどのような役割を果たしたのかについて、述べなさい。』
　洋務運動は清朝の封建的な支配を維持し、伝統的な政治・社会体制を守りつつ、西洋の技術・武器を用いて近代工業化を図ろうとする目的であった。それゆえに、洋務運動の思想は中体西用論と呼ばれる。
洋務運動は、近代的な兵器・艦船およびその造船技術の導入がはじまりであった。また、外国との交流や技術の導入にあたり、外国語に習熟した人や技術者・将校を養成するための様式の学校も設立された。列強による侵略が激しくなる中で、軍事力の一層の強化に迫られ、それに関連する運輸・通信・鉱山などの企業を官督商弁（民間資本を導入し、それを政府が監督する）や官商合弁（民間と政府の共同経営）といった形で設立するなどした。
軍事工業以外は官督商弁や官商合弁であったとはいっても、実際は清朝の封建的な支配を維持することが目的である以上、政府・官僚が支配し、営業独占権や免税特権を有するなど、民間資本による、いわゆる商弁企業の進出と発展は抑えこまれた。
洋務運動は近代工業化とはいうものの、..]]></description>

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