連関資料 :: 『地獄変』を読んで

資料:2件

  • 地獄変読ん
  • 語り手と正当性 -「地獄変」を読んで- 芥川龍之介全集 第一巻 出版社: 岩波書店 初版発行日: 1995(平成7)年11月8日 に拠る この「地獄変」の語り手がわざと「心にもないこと」を述べていると私が考えた箇所を、まず一番初めに指摘することにする。それらは、以下に述べる数箇所である。 <決して世間で兎や角申しますやうに、色を御好みになつた訳ではございません。><こゝでは唯大殿様が、如何に美しいにした所で、絵師風情の娘などに、想ひを御懸けになる方ではないと云ふ事を、申し上げて置けば、よろしうございます。>(本文三) <大殿様が娘の美しいのに御心を惹かされて、親の不承知なのもかまはずに、召し上げたなどと申す噂は、大方かやうな容子を見たものゝ当推量から出たのでございませう。><そこで大殿様が良秀の娘に懸想なすつたなどと~元よりさやうな事がある筈はございません。><色を御好みになつたと~宜しい位でございます。>(本文五) <大殿様の思召しは、全く車を焼き人を殺してまでも、屏風の画を描かうとする絵師根性の曲なのを懲らす御心算だつたのに相違ございません。>(本文二十) これらはみな、語り手が堀川(河)の大殿について表現している点であり、その内容はどれも良秀の娘に関連することである。前述の数箇所の記述において語り手が一貫して述べていることは、「大殿は娘に対して恋愛感情を抱いてはいない」というものである。良秀の娘については、本文から、愛嬌があり美しいことが伺える。また、<年よりはませた><年の若いのにも似ず>(本文二)という記述から、十五歳という年齢の割には精神的にも身体的にも成熟していたのだろう。しかし語り手は、大殿が娘にそういった女性的な魅力を感じていたのではなく、下げなかったことにしても<大腹中>(本文一)である大殿の<有難い御考へ>(本文五)からであり、猿の件等で娘をとりわけ贔屓していたことにしても<孝行恩愛の情を御賞美なすつた>(本文三)だけのことであると主張している。 これらの語り手による発言をわざと「心にもないこと」を述べていると捉えた理由の第一が、この語り口の端々に、語られる内容とは全く別の姿を暗示させるような表現が含まれているからだということである。本文では、<堀川の大殿様のやうな方は、これまでは固より、後の世には恐らく二人とはいらつしやいますまい。>(本文一)と冒頭からあるように、語られる事実は全て大殿に寄り添った形であり、語り手は常に大殿の存在の正当性を絶対視している。しかし<決して世間で兎や角申しますやうに、色を御好みになつた訳ではございません。>(本文三)<大殿様が娘の美しいのに御心を惹かされて、親の不承知なのもかまはずに、召し上げたなどと申す噂><地獄変の屏風の由来も、実は娘が大殿様の御意に従はなかつたからだなどと申すものも居りますが>(本文5)<これは、かなはぬ恋の恨みからなすつたのだと云ふ噂が、一番多うございました。>(本文二十)など、世間一般が大殿の娘への行動に対してどのような反応をもって見ているのかがところどころに挿入されている。語り手はこれを否定しているが、この過剰なまでの弁解が逆に大殿像を彷彿とさせているようにも思える。 第二に、<大殿様は緊く唇を御噛みになりながら、時々気味悪く御笑ひになつて、>(本文十八)<御顔の色も青ざめて、~喘ぎつゞけていらつしやいました。>(本文十九)などから分かるように、洛外山荘で車が炎上するクライマックスのシーンでは、大殿はこれまでの完璧な君主としてではない、ありのままの描写で語られて
  • 地獄変 芥川龍之介 語り手
  • 550 販売中 2008/02/11
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