連関資料 :: ジェンダーフリーへ

資料:6件

  • ジェンダーフリー
  • グローバル社会におけるジェンダーフリーの在り方と日本の現状 1E05H066-8 窪田大将  「国際結婚」最近増えてきているキーワードであると思う。グローバル化している世界において人の動きが活発になり、国際的な交流が増えている現代において当たり前のことだろう。しかし、日本に来た外国人、外国に行く日本人の中にはその文化、文明の違いには驚かされている人も多いだろう。中でも日本に来た外国人が「女性の社会的地位の低さにはがっかり」との声をテレビ等でよく聞く。そこで今回は「ジェンダー」についての考え方と問題点を海外の「ジェンダーフリー先進国」であるスウェーデン、アメリカ、イギリスと比較しながら、今後日本ではどうすればいいのか?ということを考えていきたい。 日本における社会平等は以前と比べると、とても進んできたようにみられている。しかし、今の社会ははたして本当に男女平等と言えるだろうか。今もまだ、様々なところで男性中心の考えをしている人々がいるのが現実である。男性は外で働き、女性は家事や育児をする。このような考えは見直されてきてはいるが、まだまだ女性の家事や育児の比率が高い。将来的に女性は男
  • 日本 歴史 福祉 アメリカ 女性 企業 社会 ジェンダー 文化
  • 全体公開 2008/12/15
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  • ジェンダーフリーとバリアフリー
  • ジェンダーフリーとバリアフリー 1.はじめに  近年、性別に関わる問題を論じるとき、「ジェンダーフリー」という言葉を耳にしないことがない。しかし、この言葉が、性別の問題を一挙に解決する、呪文のような使われ方がされることはあっても、その意味が掘り下げて考えられることはあまりないのでないだろうか。  「ジェンダーフリー」という言葉は、日本で考案された、いわゆる和製英語にあたる。現在この言葉は性別問題に関わる市民団体や官庁の部門により、頻繁に用いられるようである。  この文脈で「ジェンダーフリー」は、主に女性に対する差別をなくすために、少なくとも公的な諸制度について、性別に基づいた区別や差別を撤廃することを意味する。あるいはさらに踏み込んで、言語や服装といった文化的な部分に関する、性別に基づいた区別を撤廃し、性差のない文化を作ることを意味することもある。これらの場合、"free"とは「~がない」という意味であり、「ジェンダーフリー」とは、英訳するならば"state of no gender"(性別のない状態)とでもいうべきことになろう。  そして、この「性別のない状態」を作る出すことができるということは、いわゆる社会的性別(gender)に関する社会構築主義(social constructionism)に基づいていると考えられる。ここで社会構築主義とは、社会的意味での性別は、先天的に決定されている生物学的意味での性別(sex)とは異なり、それぞれの社会や文化において人為的に作り出されたものである、とする理解をいう。この立場からすると、教育や啓発活動を通じて、性別に二分された人々の意識を変え、性別を区別する文化や社会慣習そのものを変えていくことができることになる。  これに対して、本質主義(essentialism)、すなわち社会的性別についても生物学的性差によって決定されているという立場からは、およそ社会的に性別のない状態を作り出すことは不可能であり、社会的性別が男性/女性に二分されることは、時代や文化を問わず普遍的ということになる。  現在、少なくとも自然科学的な理解においては、本質主義的な理解が優勢になりつつある。すなわち、いわゆる脳の性分化説によれば、女性と男性では脳の特定の部分の構造に差異があり、そのことが知覚や意識、行動様式の差をもたらし、ひいては社会行動にも性別に基づく差異が現れる、というものである。  一方、人類学や社会学の領域では、社会的な性差が後天的な構築物であるという社会構築主義は、ほぼ当然の前提になっているようである。ポスト構造主義哲学のような相対主義思想の影響下に、性別の分類及び内容もまた文化により異なり、普遍的な「女性」「男性」概念は存在しないことが、暗黙の了解事項になっている。  私は、ここで本質主義/社会構築主義の優劣を論じようとは思わない。すなわちこの議論は、性差は人間の知覚の外に実在するか(実在論)、それとも人間が名付けただけの存在であるか(唯名論)という神学論争であり、決着のつかないものだからである。むしろ、問題にすべきなのは、ジェンダーの根拠についていかなる理解をするにせよ、果たしてどのような社会的条件を整えれば、個人が生きやすい社会を作ることができるか、ということである。すなわち、性別については依然、公的な場面でも私的な場面でも大きな関心が払われているが、その中で個人の自由を確保するにはどのようにすればよいか、ということである。  このように考えるとき、「ジェンダーフリー」とは「性差のない状態」を意味するのでな
  • 全体公開 2007/12/21
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  • ジェンダーフリーの実現とセクシャルマイノリティ
  • ジェンダーと聞いてまず私が連想するのは「男らしさ、女らしさ」という言葉であり、また「性の自己決定権」についてである。性の自己決定権については中絶や性的暴力などの問題に加え、最近ではセクシュアルマイノリティの権利擁護などを含んだより包括的なものとして提起されるようになった。だが、同性愛やトランスセクシュアルについての認知やケアなどはジェンダーフリーを実現していくために不可避な問題であるにも関わらず、他のテーマに比べて取りあげられる機会がまだまだ少ないように思う。そこで今回は「ジェンダーの揺らぎ」という観点からセクシュアリティの多様性について、その中でも特にセクシュアルマイノリティを切り口として述べることにする。
  • レポート 社会学 ジェンダー 同性愛 人権
  • 550 販売中 2006/04/27
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  • 戸籍訂正とジェンダーフリー
  • 戸籍訂正とジェンダーフリー  トランスジェンダーについての、いわゆる戸籍訂正問題は、しばしばジェンダーフリーと絡めて論じられるが、私は最初の頃ほとんど暗黙のうちに、当然に関連性のある問題であると考えていた。  一方で、なんとなく座りの悪さを同時に考えていたのだが、 EON/W で神名龍子氏が、「行きすぎたジェンダーフリーの考えは、むしろ戸籍訂正の妨げになる」と主張しておられたのを契機に再考してみると、氏とは論拠を若干異にするところもあるものの、やはり戸籍訂正の問題は当然には、ジェンダーフリーの問題とは関連づけられないのでないかと思う。  もちろんジェンダーフリーを性別の自由と定義づけれ
  • 全体公開 2007/12/21
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  • ジェンダーフリーとエロティシズム (バタイユ~BL嗜好、ロリコンまで)』
  • 「ジェンダー・フリーの時代にエロティシズムは可能か」というテーマについて、このレポートでは、バタイユ著『エロティシズム』を中心に、ジェンダー・フリーとエロティシズムについて考えていくが、まず、論に明確さと普遍性を与えるために、ジェンダー・フリーの概念をより極端に、最も徹底した形で規定したいと思う。このレポートの中で「ジェンダー・フリー」と言う場合、加藤秀一著『性現象論-差異とセクシャリティの社会学』の中にあるごとく、性別差異、性別役割を社会通念による産物であるとして、本質的、普遍的な意義の無いものとし、また医学を根拠とした性別そのものも、「有性生殖に重大な意味づけをしている限りにおいて存在する」社会的な規範に過ぎないと捉らえる。 さて、ではエロティシズムについてであるが、バタイユ『エロティシズム』の主軸となる論とは、エロティシズムの本質は、禁止を侵犯するところにあり、エロティシズムを支配しているのは、死と存在の連続性である、というものである。このバタイユの論に寄り掛かってエロティシズムの存在の可否のみを探ることは難
  • 同性愛 ボーイズラブ エロティシズム エロス オタク 秋葉原 セクシュアリティ 性差 性別 レポート
  • 550 販売中 2009/06/11
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