連関資料 :: 朝鮮の歴史と文化

資料:3件

  • 朝鮮歴史文化
  • 朝鮮の歴史と文化 関東大震災  1923年9月1日、マグニチュード7.9の大地震が関東地方を襲った。相模湾を震源地とする大地震の襲来であり、相模湾の南西部の深さ1300mの海底が、長さ24km、幅2kmから5.5kmにわったて陥没した。反動で相模湾の北東部では海底が100m以上も隆起した。相模湾に沿ったところでは、列車の転落など地震の直接被害が大きかった。小田原では崖は崩れ、橋は落ち、建物は崩壊し、多くの市民が亡くなった。地震直後、東京ではたちまちにして火事が起こった。人家の密集していた東京の震災被害は、震源に近い相模湾沿いの地域に比べて火災被害によるものが圧倒的に多かった。東京において全死亡者のおよそ85%が焼死であった。 関東大震災時における日本の朝鮮政策  震災の混乱の中で、朝鮮人による暴動が起こっているという流言が人々に広まった。流言が簡単に信じられた最大の理由は、多くの日本人が、非常の場合など何かあったときには朝鮮人が襲ってくるかもしれないと恐れていたからである。日本人は、官憲も民衆も、朝鮮人に襲われるかもしれないと思うほど、強く恨まれていると確信していた。そのように確信するには理由があるが、その理由は朝鮮人の側にあるのではなく、日本政府の朝鮮政策にあった。朝鮮を植民地にしてから、1910年より1918年にかけ、日本政府は、朝鮮においては近代的な土地所有権制度が確立していないとの理由から、大規模な土地調査を行った。その調査によって土地所有権を確認しようとしたのであるが、真の目的は違うところにあった。調査は土地の利用者に所有権を届け出させるものであった。届出がなかったり、所有権があいまいであった土地は、指導や仲裁をして実際の耕作者の権利関係をはっきりさせたのであれば、それなりに土地制度の近代化に役に立ったのであろう。しかし日本政府は、届出のなかった広大な土地を所有権者がいないものとして朝鮮人耕作者から強権的に取り上げてしまった。ここに土地調査の真の目的があったのである。識字率の低かった朝鮮にあっては、多くの朝鮮人耕作者には、所有権の意味、届出や、まして届出しなかったことによる効果の意味がわからなかった。そのため届出がなされなかった土地が多かった。これを利用したのだ。届出がなかった土地は、所有権者がいない土地とされ、詐欺的に耕作者などから取り上げられ、日本関係の土地とされた。それはそれまでの朝鮮における土地利用の慣行をまったく無視したものだった。  土地を奪われた朝鮮人は、働く手段を奪われたのである。彼らは土地を離れて、生活のための職を求め、北部の者は主に満州へ流れ、南部の者は日本に入ってきた。土地を奪われた者は、土地調査の意味がよくわからない、文字の書けない下層農民がほとんどであった。したがって日本に流入してきた朝鮮人の大半は、流入の経緯からして、下層の識字できない者が多かった。そのような経緯で来日した朝鮮人は、知らないうちに土地を奪われ土地から離され、異国である日本に来て、そこで激しい民族差別、同時に貧困による差別を受けたのであり、日本を恨まないはずがない。程度の差はあれ、日本に対して何らかの恨みを持っている、と多くの日本人、特に支配層の日本人が考えていた。 埼玉県における朝鮮人虐殺  <大里郡熊谷町を中心に>  埼玉県大里郡熊谷町、現在の熊谷市は関東平野の北部寄り、秩父山塊に源流を持つ荒川の中流域に位置している。震災による、埼玉県における建物被害は全壊4562戸、半壊4348戸である。埼玉県でも県南部の被害はかなりのものになっていたが
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  • 僕がこのレポートを書く際に取り上げた書籍は「朝鮮短編小説撰」である。まず、幼い頃より小説が好きで、というよりは詩とはほとんど関わりがなく鑑賞文などが付いていないとせっかくのこの時期の人々の残そうとしたメッセージや時代背景などを読み取ることが難しく小説の方がダイレクトにそれが伝わってくると思ったのがこれを選んだ理由である。現に今回の題材選びは正解だったと思うし、僕なりに考えさせられるところはあったと思う。
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