連関資料 :: ジェンダーについて

資料:56件

  • ジェンダーと福祉――障害児と母親から
  • 1.はじめに  2006年に国連で採択された「障害者の権利に関する条約」のように、近年、障害者の権利を見直し、擁護しようとする動きが世界的に活発になってきている。これに合わせて、障害者に対する社会的サポートの幅も広がっている。また、ジェンダーに関しても男女が共に平等な責任を担う社会作りの努力がなされており、日本では「育児・介護休業法」や「男女共同参画社会基本法」の制定などにその成果が見られる。しかし、こうした動きにもかかわらず障害者、特に障害児に対するケアの多くは依然として母親が担っており、障害児に対する障害者福祉は母親が全面的に子どもに付き添い、支援することが前提となっているように思われる。 なぜ障害者福祉やジェンダーをめぐる社会の動きが活発になっているにも関わらず、障害児に対するケアの多くを母親が担うような状況が続いているのか。また、このことを踏まえた上で、障害児と家族に対して今後障害者福祉はどのような方向に向かっていくべきなのかについて考察してみた。 2.ジェンダー規範と障害者福祉 固定的なケアをめぐるジェンダー規範が根強く維持されている主な理由は、家庭内外で女性を絶えずケアを行
  • レポート 障害 家族 福祉 ジェンダー ケア 社会学 福祉学
  • 550 販売中 2008/11/07
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  • ジェンダーと現代日本社会の問題について
  • 「ジェンダー」とは、男女の間に文化的・社会的に形成された性差であり、「男らしさ」や「女らしさ」という言葉で表される特性である。ジェンダー理論は、社会の制度上の性差別から始まって、特定の文化のシンボル体系(言語・芸術・宗教シンボルなど)に無意識に存在する、ジェンダー的支配秩序の批判、さらには、学問や技術の世界に反映しているジェンダー化の解体と脱構築といったように、様々な形態をとって展開されている。  現在の日本では、男性は労働市場へ、女性は家事・育児・介護などを担うという『性別分業』が維持される傾向にあるが、社会的背景などにより、多種多様な形を見せており、抱える問題もまた様々なものとなっている。
  • ジェンダー 性差 性別分業
  • 550 販売中 2009/01/06
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  • _ジェンダーの経済学.doc2
  •                                                                ―ジェンダーの経済学― ・授業を通して獲得したもの     半期をかけて「新フェミニスト経済学」を読んできた。授業中にも発言したが、そもそもなぜすべてのものの価値をお金に換算しなければならないのか、という疑問が常に私の中にあった。母親が子どもや夫に対して家事や育児を行うのは愛情があるからであって、賃金のために働くお手伝いさんとは別物であるから、家内労働をお金に換算することはおかしいのではないかと考えていた。しかし今振り返ってみると、それは理想論でしかなかったように感じら
  • 女性 家族 授業 生産 男性
  • 550 販売中 2007/11/11
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  • アフリカ地域研究における生業とジェンダー
  • 中南部アフリカを中心にサハラ以南のアフリカ諸社会において、生業を中心にしたフィールドワークをするとき、ジェンダーは欠くことのできない視点であった。アフリカのほとんどの社会では、はっきりした性別分業が見られる。ジェンダーによって活動する空間が大きくこととなり、知識の内容や質が異なることも珍しくない。このような差異の大きさと同時に、多くの研究者の目を引いてきたのは、女性の経済活動が盛んで、経済的な自立性が高いことであった。アフリカ地域は、ヨーロッパ的なジェンダー・モデルとの相克の舞台でも会った。アフリカの諸社会における生業活動は、植民地支配や独立後の国の政策から大きな影響を被ってきた。多くの場合はヨーロッパ近代国家をモデルに立案された政策は、暗黙のうちにヨーロッパ近代的ジェンダー・イデオロギーを組み込んでいるので、その実施によって存来のジェンダー関係に軋轢が生じ、アフリカ社会全体に大きな影響を及ぼしたといわれている。しかしそのような軋轢にもかかわらず、政策の圧力をすり抜けるようにして続けられてきた生業の営みが、それぞれの地域独自の特性を作り上げ、多様なジェンダーのありようが行き続けていることも看過できない。  生業とジェンダーに纏わる諸問題について、次のような傾向がある一つは、マクロな構造レベル指摘される「女性の周縁化」に関わる問題群に関連する。グローバル化の進展とともにアフリカ諸国は世界経済システムの最周緑と化したといわれている。それぞれの国の内部では、ジェンダーの差異に沿った周縁化が進み、「貧困の女性化」、「HIV/AIDSの女性化」など悲惨な状況が一般に知られている。しかし同時に、それぞれの地域独特の多様な姿がり、単に人権教育や教育・就職機会の均等な拡大だけでは解決できない問題があることも指摘されている。また、このような問題群としての語り方が、アフリカ女性を受動的でしからのない存在だと印象付ける結果をもたらしているという批判もある。このとき、生業とジェンダーの視点をとうして具体的な周緑化のプロセスを問うことによって、「周縁化」とひとくくりにされてきた問題の実態や、その多様性についてのきめ細かな議論が可能になろう。
  • 女性 経済 社会 ジェンダー 政治 地域 問題 労働 政策
  • 550 販売中 2011/08/04
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  • 空の思想から見るジェンダー
  • インド仏教の思想で、名称と本質の関わり方、および「空」の思想は、仏教徒の価値関係性において大きな影響を及ぼした。仏教独特の「空」の思想は、差別やジェンダーという問題を抱える現代にも適応できるのではないだろうか。ここでは、仏教では女性がどのように扱われてきたのか、初期仏教、アビダルマ仏教、中観学派のそれぞれにおける思想を軸に考察する。(本文1361字)
  • 女性 ジェンダー 社会 仏教 差別 思想 人間 インド
  • 550 販売中 2013/11/18
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  • ジェンダーは世界最大の暴力装置である
  • ジェンダーは世界最大の暴力装置である 蔦森 樹 琉球大学法文学部・立教大学文学部兼任講師 国際基督教大学社会科学研究所・上智大学社会正義研究所共催 2002年度「第22回国際シンポジウム」ステートメント 原稿初出:『日本における正義:国内外における諸問題』 (国際基督教大学社会科学研究所・上智大学社会正義研究所編) 所収 2003年・御茶の水書房 性は限りなく実体化した可変概念  一般的には人間には性があり、男でなければ女だと考えられています。生物学的な見地や医学的見地がこれに加わると男性もしくは女性、それ以外の例外に半陰陽があるといわれています。しかしそうなのでしょうか。  生まれた性と逆の性別で生きるトランスジェンダーの人や、精神病の疾病名称である「性同一性障害」といった個人の状態につけられた新しい呼び名も含めて、男、女、半陰陽もすべてはあとからつけられた「ラベル」なのではないでしょうか。  性だけではなく、人間につけられたさまざまなラベルの拡充と区別が昨今とても大事にされ、社会的な属性になり、階級形成の根拠に使われ、個人のアイデンティティの一部にも強く用いられています。ただの自分がただ存在することにではなく、ラベルこそが自分を証明するものになっています。  性は目や心臓のように自分の体の一部であり、各人の顔が異なるようにたとえば外性器の形も寸部たがわない同一のものはなく、全員を並べてみればまったく個人的で微妙に多彩なありようの連続性です。たったふたつの形があるわけではありません。  すなわち「性がある」という概念と「その性には男と女がある」という二元的な上位カテゴリー(ラベル)自体が、決して普遍的な事実ではないことに強く留意が必要です。  性は、人種や民族などとともに人間身体につけられた社会的属性のひとつであり、上位カテゴリーを作る一概念です。それらは「限りなく実体化した可変概念」と呼べるものです。  現行の社会概念である「人間には性があり、性には男と女しかない」の傘下で生きると、男と女のラベル以外の個人的ということが、微妙に、そして程度によっては大きく逸脱を起こすべき「病理として囲い込まれ」ます。身も心も生き方までもが「医療化されてゆく」結果に導かれています。これは医療概念による人間身体と自尊感情の植民地化と言ってもかまわないと考えます。植民地化は、先進諸国の開発援助に含まれる医療援助によって、すでに地球のどの場所においても完了しているのではないでしょうか。今では西側医療規範が、人間とは何かを決める地上で唯一の権力になっています。 例えば、ゲイの人やレズビアンの人たちが「人が人を好きになった」ということが、1975年には精神障害とされました。この米国精神学会の決定を受けてWHOが国際疾病分類には同性愛を精神障害と決め、同性愛は世界標準の疾病(病名)になりました。 しかし人が人を好きになること自体がなぜ病気なのか? 考えると社会的規範に逸脱するからという理由しかありません。社会のレギュレーションの狭さの問題であり、病理の問題ではないことが指摘され、93年に米国精神医学会が「精神疾患の診断と統計のためのマニュアル第三版」(DSM-3)の精神障害リストから「いかなる理由をもっても」という強い一文を付け加えて疾病リストから同性愛を削除、同年にWHOが国際疾病分類から同性愛を削除される最近の経緯がありました。 日本でも日本精神神経学会がWHOの基準変更を受けて、それまで精神障害とされた同性愛が疾病単位から削除されています。95年に日本精神神経学会は
  • 日本 アメリカ 人権 社会 ジェンダー 情報 女性 倫理
  • 全体公開 2007/12/21
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  • 卒業論文「スポーツとジェンダーに関する一考察」
  • 序章                   3 第1章 スポーツの歴史 5 第1節 スポーツの歴史と発展 6 (1)先史時代のスポーツ 6 (2)古代のスポーツ 8 (3)中世のスポーツ 10 (4)近代のスポーツ 12 (5)現代のスポーツ 14 第2節 スポーツの歴史と女性 15 (1)女子陸上競技とオリンピック 16 (2)近代スポーツの男性主導 18 第2章 スポーツと身体的差異 20 第1節 男女の形態から見る身体的差異 21 第2節 男女間における身体の機能的差異 23 第3章 学校教育におけるスポーツとジェンダー 31 第1節 体育教育における男女差 32 第2節 部活動における男女差 34 第4章 スポーツとジェンダーに関わる諸問題 37 第1節 男女間におけるスポーツ機会の不均等 38 第2節 女性アスリートの商品化 40 第5章 スポーツとジェンダーにおける人々の意識 41 第1節 質問紙調査概要 42 第2節 質問紙調査結果と考察 43 終章 まとめと考察 54 2008年8月,北京五輪で野球日本代表がメダルを逃したことに対する非難で沸いたスポーツ界。その裏で,女子野球ワールドカップが行なわれていたことを知る者は少ない。そこで,女子野球の日本代表が優勝を遂げたと言うニュースは,スポーツ紙の一面を飾った「敗戦」という文字とは裏腹に,小さく片隅に掲載された。 近年,女性アスリートの活躍には目覚しいものがある。北京五輪のソフトボール日本代表やレスリングなどにおける金メダルの獲得は記憶に新しい。しかし,その裏では未だスポーツへの女性進出には,性差による障害が数多く残されている。そこには,男性中心に発展してきた近代スポーツによる弊害と,スポーツ分野に関わらず,これまでの世界を取り巻いてきたジェンダー問題が深く関わっている。  また、現在女性が華々しく活躍するスポーツにおいても性差を背景とした問題は数多く残っている。身体を最大限活用するスポーツという分野であるがゆえに,「男らしさ」「女らしさ」を求める風潮,マスコミによる女性アスリートの商品化など,近年になって女性のスポーツ界への進出が増加したことにより様々な問題が明らかとなってきたといえる。  「男女が,社会の対等な構成員として,自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され,もって男女が均等に政治的,経済的,社会的及び文化的利益を享受することができ,かつ,共に責任を担うべき社会」としての男女共同参画社会基本法が制定され10年が経過した。しかし、日本社会においては、様々な場にジェンダー意識が根強く残っている。その中で,未だ根強く残るジェンダー意識のひとつとして,スポーツ分野におけるジェンダー問題について,①歴史的背景 ②生物学的見地 ③教育分野との関連 ④スポーツ競技の制度面 ⑤人々の意識 などからアプローチする。このことにより,スポーツにおけるジェンダー意識はどのような環境の下で生まれ、現代社会にどのような影響を及ぼしているのか、また、これらのジェンダー意識はどのように変化してきたのかを見ていくことによりその問題解消の糸口を模索していきたいと思う。
  • 歴史 日本 スポーツ ジェンダー 女性 社会 文化 学校
  • 5,500 販売中 2010/05/24
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  • 職場におけるジェンダー問題に関する5判決についての論評
  • 職場におけるジェンダー問題に関する5判決についての論評                             目次 1 結婚退職制違憲判決(東京地裁S41・12・20) 2 住友電気工業事件(大阪地裁H12・7・31) 3 芝信用金庫事件(東京高裁S12・2・22) 4 野村證券男女差別事件(東京地裁H14・2・20) 5判決を比較して 6.まとめ 1 結婚退職制違憲判決(東京地裁S41・12・20) 本判決は、まず、原告が本採用前に「結婚したときは退職する」との念書を差し入れたことを認定して原告被告間の結婚退職を内容とする労働契約の成立を認めた上で、次のようにその労働契約と公序との関係について判断し、かかる労働契約に基づく解雇の意思表示を無効とした上で、雇用契約上の地位の確認等の原告の請求を認容する判決を下した。  結婚退職制は、女子労働者のみの解雇事由である点で性別による差別待遇に該当し、また、女子労働者に対し結婚するか自己の才能を生かしつつ社会に貢献し生活の資を確保するために従前の職に留まるかの選択を迫る結果に帰着する点で結婚の自由を著しく制約するものであり、これは使用者が女子労働者の雇用時に結婚退職制を明示した場合にも左右されない。  そして、性別を理由とする合理性なき差別を禁止することは、法の根本原理であり、かかる原理は憲法14条、民法1条の2(現2条)に直接明示され、また労働法の公の秩序を構成するから、労働条件に関する性別を理由とする合理性を欠く差別を定める労働協約・就業規則・労働契約は、いずれも民法90条に違反し、その効力を生じない。  適時に適当な配偶者を選択し家庭を建設し、正義公平に従った労働条件の下に労働しつつ人たるに値する家庭生活を維持発展させることは人間の幸福のひとつである。かかる幸福追求を妨げる要因のうち合理性を欠くものを除去することも、法の根本原理であって、憲法13条、24条、25条、27条はこれを示す。かかる結婚の自由を合理的理由なく制限することは法律上禁止され、かかる禁止は公の秩序を構成し、これに反する労働協約・就業規則・労働契約は民法90条に違反し、効力を生じない。    既婚女子労働の非能率の責を一般的に女子のみに帰せしめるには、使用者国家社会の側でかかる責が専ら女子労働者の結婚という事実のみに存することを立証すべきである。労働基準法の趣旨からは既婚労働者には出産育児に関し休業請求権を有し、その限度で非能率が許されていることは、十分尊重されなければならない。本件では前記事実を認めるに足りる証拠はない。しかも、補助的事務の内容に徴すると、これに従事する女子労働者が結婚したからといって労働能率が当然に低下するとは推認できない。したがって、既婚女子労働者の非能率を理由に、勤務成績の優劣を問わず一律にこれを企業から排除することは合理性がない。  また、仮に被告主張にように長期勤続既婚女子職員がより責任の重い男子職員に比し高額に賃金を得、しかもこれにつき男子職員からその是正を求められるとの事態が存するとしても、これは主として勤続年数により機械的昇給を伴う年功賃金制のもたらした結果であるから、むしろその是正のためには、男女を問わず各職員の職務ないし労働の価値に応じた合理的な賃金体系を制定することが適当であるといわなければならない。かかる措置をとらないで、年功賃金制の有する若干の短所を理由として女子の労働者を結婚と同時に一律に企業から排除し、もって前記差別待遇を行い、結婚の自由を制限することは、なんら合理性がない。  その
  • レポート 社会学 憲法14条 法の下の平等 男女差別
  • 550 販売中 2006/12/30
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  • ジェンダークィア、あるいはジェンダーの自由の公正な分配
  • ジェンダークィア、あるいはジェンダーの自由の公正な分配 --「トランスジェンダリズム」批判 1.はじめに  私も編集段階から関わった書に、 『トランスジェンダリズム宣言・性別の自己決定権と多様な性の肯定』 がある。この書は、性別の越境について、「性同一性障害」というものの見方に対して、「トランスジェンダー」(これの意味するところは後で論じる)という見方を提示するものであった。この書が出版されてから2年、その間に「性同一性障害特例法」の成立・施行、それに付随するマスメディアでの「性同一性障害ブーム」があり、情勢は大きく変わった。それと共に、「トランスジェンダー」というあり方の意味するものも、大きく変質したのではないかと思う。本文は、この書の出版と、それに関連した動きについての、私なりの総括である。  この点、提示された「トランスジェンダリズム」とは、最大公約数的に見て、性別を個人の意思により自己決定できるものと考えることを論じていた。これは、生まれながらの性別に違和感を感じることを「性同一性障害」という疾患と捉え、治療の対象とする考え方に対してのアンチテーゼであった。  そして、その性別の自己決定を阻むものが、性別は男女の二つに限り、また「男らしさ」「女らしさ」を固定的に捉える性別二元論と、それに基づいて造られた社会制度であり、この社会制度を改め、性別をゆるやかに捉えることが性別に関する個人の自由を保障する、というものであったはずである。  しかし、今日「トランスジェンダリズム」といえば、個人の生き方、あるいは生き様の問題であると捉えられている。そこでは、性別二元論や社会制度への批評は、既に影をひそめている。性同一性障害批判という形で展開されていた医療批判は、医療を自由に使いこなす個人の存在が確立されることを条件に、既に解決済の感がある。  ここで、性別の問題は個人の問題であり、単に個人が努力すれば解決できる問題なのであろうか。もちろん、ここで直ちに社会の問題であるという結論を出すには、慎重でなければならないかもしれない。既に、性別に関するバックラッシュの環境の中で、どれだけの説得力を持ちうるのかは、慎重に見極められなければならない。  しかし、個人の問題と捉える限り、性別に関してよりよい生活を得られる者は、ごく一部の勝ち組、それも本人の努力とは関わりないところで決定される勝敗による、でしかないことについて、「性別の自己決定権」論者は、今後どのような回答をするのか。  私はここで、性別違和を疾患と見なす「性同一性障害」の立場に回帰するつもりは全くない。しかし、「性同一性障害」の立場の方が、結果として多くの当事者のニーズをすくいあげたことは直視すべきであると思う。言い換えれば、自由に自己決定できない状況のもとにいる者の声を、「性別の自己決定」論者は、どれだけ耳にしてきたのか。  本来、自己決定権は、自由主義経済下で、「弱者」「マイノリティ」という地位に置かれた者に、「強者」「マジョリティ」と対等な資格を与えるという扱いをすることにより、その者が持つ文化的背景を尊重するという戦術であったはずである。  むしろ求めるべきなのは、文化的背景の複数性を許容するシステムであり、性別の多様性の問題もその中で位置づけられるべきである。すなわち、ジェンダーについてクィア(変態)なものが共存するシステムである。自己決定権は、この複数性を承認するための、自由主義経済下での手段でしかないはずである。 2.トランスジェンダリズムの変質  『トランスジェンダリズム宣言』(社
  • 全体公開 2007/12/21
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  • パトリック・カリフィア『ジェンダーとトランスジェンダリズムの未来』
  • パトリック・カリフィア『ジェンダーとトランスジェンダリズムの未来』 「セックス・チェンジズ トランスジェンダーの政治学」より  次の世代において、トランスジェンダーの活動家はボーンスタインの指し示したような道を進んでいくのか、それともより伝統的な公民権獲得型の手法をとっていくのか、興味深いところである。トランスセクシュアルなど、トランスジェンダーのコミュニティにいる人々が、「普通の」男性や女性になるという、医療の示したゴールを捨てる唯一の手段は、ゲイのコミュニティになぞらえられることがあるが、ジェンダーの規範を安全に、あいまいにできるような、自らのコミュニティをつくることであろう。こういったサブカルチャーを創造することは、莫大な時間と労力を要することである。しかし、これが恐らく、社会を変革する唯一の手段であろう。ジェンダーの二極化にかからない生き方を提示するのである。  もっとも、ジェンダーレスな文化やコミュニティの建設は、偏見を持たれている特殊なアイデンティティから普通の凡庸なアイデンティティへの移行が不可能であるか、またはそれを望まないようなトランスジェンダーにとっても、関心の高いことであるとは思えない。トランスセクシュアルの大半は引き続き、できるだけ平穏に性別の再指定を受けようとするだろうし、後は望んで群衆の中に埋没していくであろう。この伝統的なグループが、トランスセクシュアルの多数派なのであろう。しかし、その中で相対的に少数の者しか、活動家になるという選択をしないため、トランスセクシュアルの政治の中での影響力は小さい。その結果、差異のある人が存在するという事実は、ラディカルな政治活動に楔を打ち込むことにならないのである。そして、典型的あるいは平均的といわれるところから離れている者ほど、方法は決まっているということを前提にして議論することを好みがちなのである。  ゲイやレズビアン・コミュニティにおいても、中流アメリカ人の良き生活を得ること以外のものを求めない同化主義者と、そういったライフスタイルをほとんど望まないラディカルなクィアの間には緊張関係が存在する。同様に、性別再指定の過程を、真の性別を確証するためのものと捉えるトランスセクシュアルと、解放の可能性は生物学的性別を明らかにすることにかかっていると考えるトランスジェンダーの間の争いは継続するであろう。  ただ、このトランス・アクティビズムの二つの側面が目的とするものは、二律背反であるように見えるものの、実際には健全なジェンダー観をもつ社会の実現のためには、両者とも重要なことである。ジェンダーの自由という概念がいかなる意味を持とうとも、生物学的性別あるいは出生時に指定された性別にこだわる人もいれば、望む性別に身体を適合させようとする者、さらには二元的な性別観そのものを疑う者は、それぞれ存在し続けるだろう。  残念なことに、それぞれの立場を代弁する者が、他の立場の正当性を理解できるようになる可能性があるかというと、五里霧中である。差異は常に、耐え忍ぶのに難しいものである。競争心が深く刷り込まれているため、最もラディカルな者にさえ、共通の課題ではないけれども、横断的な目的を持った作業に取り組むことへの反発が積もっている。結果として、争いと論争が激しくなる。しかし私は、トランスジェンダーのコミュニティと政治との関わりが脱線することはないと信じる。そして、トランスジェンダーの活動が進展するなら、幸いそうでない者も多くの利益を得るのである。  異なったジェンダーを持つ者でなくても、トランスジェンダ
  • 全体公開 2007/12/21
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  • 企業におけるジェンダー──雇用均等法と家族責任
  •  国際社会において、男女同権の動きは国連憲章の男女同権の原則に始まり、1948年の世界人権宣言、1967年の婦人に対する差別撤廃宣言へと続いた。戦後つくられた日本国憲法の第14条でも、実は基本的人権の一環として男女の平等を保障しており、男女平等の労働権や、男女平等の学習権等が規定されている。しかし戦後、企業社会が確立されていく中で、企業に雇用される女性は理想と現実との大きなギャップに悩まされ続けてきたように思われる。  1986年、男女雇用機会均等法が国際社会の外圧に応じる形で施行され、企業の多くはコース別人事制度を導入することによってそれに対応した。転勤を伴う管理職コース「総合職」と、転勤は少ないが賃金体系や昇給・昇進などの待遇に差をつけられる「一般職」に女性を振り分け、ごく少数のエリート女性にのみ均等法の適用を図るというこの新しい人事制度は、終身雇用を前提とした日本型の経営システムの範囲内で均等法を受け入れるための策だった。  均等法の運用において、企業経営面での大きな問題となったのは教育訓練における差別の禁止規定、つまり男女で教育に差をつけられなくなったことである。教育にはコストがかかる。一人前の企業戦士となるべく育てられる男性と同じだけのコストを女性にもかける場合、コストを回収できる前に辞められてしまうという大きなリスクがある。そこで、コース別の人事制度を導入し、女性だけを総合職と一般職に区別することになった。数が限られた総合職の女性なら、男性と同じように投資しても採算は取れるという考えである。  こうした、人件費をできるだけ抑え、かつ労働者間の競争心を煽ることにより生産性の向上を図る、という経営戦略にのっとった人事管理や賃金管理は、労働者をより強く拘束する結果となった。企業が労働者を評価する際の評価基準は、企業への貢献度、忠誠度といったものとなる。
  • レポート ジェンダー 女性学 雇用均等法
  • 550 販売中 2006/01/27
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