子ども・家庭分野の事例「事例20(p160~168)」、地域福祉分野の事例「事例22(p177~186)」の2の内、自分の関心のある事例を1つ選び、社会福祉機関、施設、援助者による社会福祉活動で留意すべき点について述べよ。

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    子ども・家庭分野の事例「事例20(p160~168)」、地域福祉分野の事例「事例22(p177~186)」の2の内、自分の関心のある事例を1つ選び、社会福祉機関、施設、援助者による社会福祉活動で留意すべき点について述べよ。
    プロフィール
    クライエント・Gさん(41歳)、長男(15歳)、長女(7歳)
    生活歴・兼業農家の父母に育てられ、小学校後半から粗暴な行動が目立ち始めた。中学生のときに数ヶ月間、教護院(現在の児童自立支援施設)へ入所したことで母親を憎んでいる。
    20歳前で結婚。自殺未遂事故の後遺症で身体障害者手帳の上下肢4級。2度目の離婚の後、父母の住む隣町で親子三人の生活となり、この頃から子どもへの虐待が目立つようになる。人間関係でトラブルを起こし転職を繰り返す。毎日5~6合の飲酒。肝炎の治療が困難な状態。簡単な読み書きが出来るが、識字に対する劣等感が強い。過度の興奮により子どもへ攻撃的となったり、極端にかわいがる。
    生活状況・長男:妹をかわいがる。Gさんから毎日感じの練習を課せられていた。知的な遅れがみられ、登校には消極的だったが、中学校では友達とも遊び、担任や生活指導主事から見守られていた。家のお金を持ち出す癖がある。Gさんから長女と共に虐待を受けていた。Gさんの要望で児童相談所にて一時保護(1回目)。当時の判定では「軽度の知的障害」、「療育手帳の申請可」、「施設入所が望ましい」だったが、Gさんの強引な引取りで帰宅となる。中学卒業後は就職し、3回転職。
    長女:Gさんから極端にかわいがられたり、手荒に扱われたりして育てられる。学校では教室から出ることが多く、学習地帯が心配される。愛犬の世話をしている。貯金箱のお金を持ち出したり、万引きをしたことがある。祖父母には優しくしてもらっている。
    父母:父の酒癖で母は長年苦労してきている。Gさんも虐待を受けて育てられた。父母はお金に対する執着がとても強く、家族間のトラブルの原因になっている。父母共に中と外では態度が一変する。Gさんの妹(39歳)には優しくGさんには厳しかった。妹の夫を養子縁組している。
    インテーク・1999年1月:Gさんから「子育に疲れた」と児童家庭支援センターに電話が入る。
    3日後、長男が一人で家を出てきて「緊急一時保護」となり、その数日後、長女からCSWに助けを求める電話が入る。警察等に通報し駆けつける。
    警察での事情聴取の後、長女は児童相談所の一時保護、Gさんは帰宅となるが、帰宅して間もなくGさんから自殺を漂わす電話が入り派出所に急報、緊急病院にて処置後Gさんは覚醒したが、鑑定医(2名)の診断の結果、「措置入院」となり精神病院へ移送。
    ケース展開・1999年2月:長男の療育手帳申請の書類を整備し、市(障害福祉課)窓口へ申請をしにいくと共に、知的障害児施設入所、養護学校入学の申請に必要な書類整備のため、学校、児童相談所へ、書類作成を依頼する。
    長女の一時保護の様子を祖父母に知らせ、専門的治療の必要なこと。児童養護施設入所の方向で長女の生活改善を図り、親子の生活が回復することを目標とし、相互の立場で支援していくことを話し合う。
    1999年3月:長男の施設入所日と支援センターの退所日が決まる。Gさんから激励の電話が入り、Gさんの入院が「措置入院」から「医療保護入院」へ切り替わる旨を精神科医から知らされる。
    退院の前に関係者会議を持つことを精神科医、児童相談所と協議し、父母とGさんの参加も考える。
    長女の傷の深さには一日も早い治療的ケアが望まれることと、あくまでも親子が回復するための一時的な分離であることは、Gさんとの合意であったが、会議の席上、突然父母とGさんが「退院と同時に長女を引き取る。帰さなければ死ぬしかない。帰さなければ農薬を飲む。」という態度に一変した。長女を帰さない場合、Gさんの自傷他害の恐れが大きい為、Gさんの入院延長は不可能に近く、その結果、長女は同時に帰宅となった。
    1999年4月:長男の養護学校入学式に祖母とGさんが出席。即日の退学、施設退所を要求し、強引に長男を連れ帰る。
     1999年9月:長女から助けを求める電話が入る。長男がGさんに反抗して暴力を振い、長男、Gさんともに傷を負っていた。Gさんの飲酒がまた始まっていた。
     2000年1月:長女の小学校に対する不満が目立ち、青少年センター指導主事を通し、学校へ協力を依頼する。
     2000年8月:Gさんの措置入院から1年半が経ち、傷病手当金の受給期間が終了となるために生涯基礎年金に切り替えるため、Gさんに同行する。
     援助の留意点:子どもとその家族に対する支援では、精神的・身体的に重大な危機から回避させるため緊急に保護し、子どもの安全を確保するために、一時的な親子の分離がやむを得ない場合があるが、可能な限り親子関係の回復や家庭への復帰を図ることが重要である。
     本事例では、強引な家庭復帰となった後の家族への支援では、専門職や民間ボランチィアの積極的支援が展開され、親子に対する理解を共有し、援助の役割分担が駆使されていく地域援助が展開されているが、それ以前に、Gさんと祖父母には、長女を引き取る考えがあったことは把握できることであった。そのため、Gさんが精神的にある程度落ち着き、安心して自分の体を治し、就労にも意欲的になれる援助の提案が必要であったと考える。
     例えば、母子生活支援施設への入所である。母子生活支援施設とは、母子家庭で児童の養育が十分にできない場合、母子をともに入所させて保護し、自立促進のための生活支援を行う施設である。そのため、施設内にはGさんが精神的に不安定になったとしても、常に相談できる職員が常勤しており、子どもと生活を共にできることで、Gさんの心の安定も図ることができる。
     また、本事例では、長女の学習遅滞から学校との連携をとる試みがなされているが、学校との連携はスムーズに行えていない印象を受ける。
     関係づくりに、青少年センター指導主事を通したことなどから、学校とCSWの直接的な関係は薄いと考えられ、さらに、その他にも社会資源として、民生委員や主任児童委員などあまりにも多くの社会資源を使いすぎたことで、CSWと直接的な関係が希薄になってしまっている。そのため、学校などの社会資源を活用するときは、CSWが直接的な関係を多く持ち、連携していくことが重要である。
     さらに、本事例では、子どもの成長とともに、これから越えていかなければならない様々な問題に直面することが予想される。子どもが受けてきた傷が癒され、愛される存在として育てられるように親を支え、親としての力を高めていく援助が必要となっていく。
     社会福祉の目的を果たすためには、福祉を必要とする人のために関係する諸機関が連携を取る場の設定とそこで中心となるCSWの存在が大切である。CSWを中心として「ニーズの発見」「アセスメント」「ケアプランの作成」「サービスの実行」「モニタリング」「評価」「再アセスメント」というプロセスを重視した「ケアマネジメント」の手法を取り入れることが留意すべき重要な点であると考える。

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