今回、私は日本における安楽死とその是非について論じていこうと思う。安楽死は昔からその是非が度々問題となってきたが、今一度、安楽死について知り、認められるべきものなのか考えたい。人権として、自己決定権として、本人の苦痛をいち早く和らげる手段として、死ぬ自由が認められるのかについて様々な視点から見ていく。そして、安楽死が法的に認められるにはどのようなことが必要なのかについて論じていく。
2022 年 6 月 21 日
日本において安楽死が法的に認められるには
法学部 法学科
中東 幸智
【 目次 】
はじめに
Ⅰ 憲法 13 条と安楽死
Ⅱ 日本の刑法と安楽死
Ⅲ 世界の安楽死
Ⅳ 安楽死の判例
Ⅴ 国民の意識
Ⅵ 考察と私見
〈参考文献〉
はじめに
今回、私は日本における安楽死とその是非について論じていこうと思う。安楽死は昔からその是非が
度々問題となってきたが、今一度、安楽死について知り、認められるべきものなのか考えたい。人権と
して、自己決定権として、本人の苦痛をいち早く和らげる手段として、死ぬ自由が認められるのかにつ
いて様々な視点から見ていく。そして、安楽死が法的に認められるにはどのようなことが必要なのかに
ついて論じていく。
安楽死について論じていく上で、留意しなければならない点がある。それは安楽死が 2 種類あるとい
う点だ。日本において、安楽死は延命治療を停止する消極的安楽死と薬物投与などで作為的に死亡させ
る積極的安楽死に二分される。ここでは俗称を使い、前者を尊厳死、後者を安楽死と呼称することとす
る。もちろんどちらも本人及びその家族が苦痛を和らげるためなどの理由により死亡に同意しているこ
とを前提とする。
次に、日本とアメリカなどでは安楽死や尊厳死の定義が異なるので、説明する。少し複雑だが、アメ
リカなどでは尊厳死(Euthanasia)は「医師による自殺幇助」を意味する。これは日本で言うところの
安楽死を意味する。他方で、日本で尊厳死は「延命治療を拒否し、死を待つ」ことを意味する。これは
アメリカでは自然死(Natural death)と呼ぶ。つまり、アメリカの尊厳死は日本でいう安楽死、アメリ
カでいう自然死は日本でいう尊厳死をそれぞれ意味するということである。この意味の違いにも日本と
海外の安楽死への考え方の違いが表れているように思える。尊厳死はあくまで自然に死を待っているに
過ぎず、特段“尊厳死”などと名前を付けるに値しないという考えが読み取れるように思う。ここでは前
述の通り、日本式の名称を使って説明していく。
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2022 年 6 月 21 日
Ⅰ 憲法 13 条と安楽死
憲法 13 条は幸福追求権について規定している。憲法 13 条は「すべて国民は、個人として尊重され
る。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他
の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」という条文である。日本の最高法規である憲法からはどの
ような考え方が読み取れるのか。スタディ憲法(2022)には以下のように示されている。
学説においても、最期の生き方を自分で決めるという意味で、安楽死を一定の要件
の下で認める見解が有力です。ただし、治療行為の中止による消極的安楽死を超えて、
薬物の投与などにより直接死に至らしめる積極的安楽死が許されるかについては意見が
分かれていますi。
すなわち、現代の日本では尊厳死(消極的安楽死)は憲法によって認められているとするのが通説であ
る。一方の薬物を投与したりする安楽死(積極的安楽死)は幸福追求権の保証範囲に入らないとする意見も
あるようだ。どちらも死期を早めていることには変わりないが、自然死であるか、作為的に死期を早めてい
るかの違いによって憲法で認められるか否かの判断基準が異なるのだろう。
Ⅱ 日本の刑法と安楽死
現在、安楽死は一般に刑法第 202 条で嘱託(同意)殺人罪に該当する。刑法第 202 条には「人を教唆
し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6 月以上
7 年以下の懲役又は禁錮に処する」とある。これは非現住建造物等放火やあへん煙輸入、収賄、不同意
堕胎、人身売買などとほぼ同等の罪である。ここからも日本の刑法では重罪と考えられていることがわ
かる。
なぜ安楽死は嘱託殺人にあたるのか。安楽死は多くの場合、患者から医師に「殺してほしい」との依
頼がある。この時点で嘱託(同意)が成立する。その患者の意思に従い、殺人を医師が実行するため、
嘱託殺人が成立する。すなわち、本人の同意が得られたときのみ、嘱託殺人が成立するのだ。本人や家
族の同意が得られないまま、延命治療を中止したり、薬物を投与したりし、死に至らしめた場合には通
常の殺人罪として処罰される。
一方の尊厳死は日本で認められているかというと、未だにはっきりしていない。尊厳死として延命治
療を中止したケースにおいても、減刑はされたが、患者本人の意思が明確だったと認められないという
判断が下された。裁判所が尊厳死を明確に合法だとした判例は現在のところ存在しない。いまだ法律的
な裏付けが不十分な尊厳死の認否はグレーゾーンであるといえる。
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2022 年 6 月 21 日
Ⅲ 世界の安楽死
世界には安楽死が認められている国もある。先駆的な国はスイスで、1942 年に認められた。他にも
コロンビアやオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダ、イタリア、スペイン、ポルトガルなどで
認められている。それに加えて、オーストラリアやアメリカでも一部地域で認められている。注目すべ
きはアメリカだ。アメリカでは現在、ハワイ州やワシントンDCをはじめとする9つの州で安楽死が認
められている。女性の妊娠中絶がいまだ議論を呼んでいるアメリカでさえ、一部の州では安楽死が認め
られている。この点だけ見れば、妊娠中絶より安楽死の方が、ハードルが低いとも捉えることができる
だろう。
これらの安楽死を法的に保護するかどうかにはそれぞれの国の宗教観も大きく関わってくるだろう。
特に、安楽死をタブーとするカトリックの国では安楽死に大きな抵抗感があるようだ。カトリックのト
ップであるローマ教皇庁は 2020 年の 9 月に発表した文書の中で、安楽死を「決して正当化できない殺
人行為」と形容して強く非難した。こうした文書はカトリック信者の中では大きな影響力を持ち、安楽
死の是非を巡る議論を停滞させていることだろう。このように宗教と死生観は密接に関わっており、安
楽死の議論にも多大なる影響を及ぼす。
また、世界では世論の動きが安楽死を認めることに大きな進展をもたらすこともある。星野一正
(2001)によるとオランダでは実際に以下のような事件が起きた。
ポストマ医師の実母が、脳溢血で倒れた後で、部分麻痺、言語障害、難聴などで苦しみ、
ベッドからわざと落ちたりして何度か自殺を図ったが、毎回失敗して死に切れず、「死にた
い」と言い続けていた。娘のポストマ医師は、「もういいから、楽にしてほしい」という母
親の願いで、安楽死をさせてあげようと決心し、医師である夫に相談した。夫は彼女の意思
に賛成した上で、「あなたが自分の母親を死なせるのはつら過ぎるよ。私がお母さんを眠ら
せてあげる」と自分が違法行為を実施する気持ちを伝えた。ところが彼が実施する寸前に、
ポストマ医師は「やはり私が母を楽にさせてあげたい」と言い張って、自分の腕の中に母を
抱いて、モルヒネ 200 ミリグラムを注射して、安らかな眠りにつかせた。そして、すべて
の事情を書きとめた報告書を持って、警察に自首した。この事件でポストマ医師の起訴が
公表されるや、彼女に対する同情と支持が、患者や友人たちをはじめ多くの市民たちから
寄せられ、多くの医師たちもともに「ポストマ医師を救え」と立ち上がり、安楽死問題に
大きな社会の関心が集まったii。
この事件を一つのきっかけとしてオランダは安楽死を一定の条件のもとで認めるとしている。日本でも
もしかすると、国民の同情を買うような事件が起きたら、大きな議論が巻き起こり、法制度が改革され、
安楽死が認められるかもしれない。実際に日本でも尊属殺人という法律で似たようなことが起こったた
め、私はありえない話ではないと思う。ときに世論は法制度も変えてしまう大きな影響を及ぼす。
世界的に見れば、安楽死が認められている国はまだ少数であると言っていいだろう。しかし、徐々に
増加している傾向にあるため、安楽死の容認がワールド・スタンダードになる日もそう遠くはないかも
しれない。
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