日本の歴史(設題1)

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     鎌倉幕府が始まった年は一般的に建久三(一一九二)年であるという印象が強いが、それ以前より統治は始まっており文治元(一一八五)年が政権開始という見解が強まっている。成立時期等が曖昧な要因は武家政権としての体制を整える為に幾つかの段階を経ている事があげられる。
     各土地の領主は領地内の農民の反発や隣接する土地の領主との紛争に備え武装化を図り、地方の有力武士と主従関係を結んだ。平氏は荘園寄進によって上皇や法王との関係を強める事で重宝される事となる。この時代、朝廷は武家を利用しながら武家の地盤固めが進んでいる事に気付いていたのだろうか。
     平安時代末期、荘園公領制や官制による利害を巡り時の院政・後白河上皇や有力貴族の間に亀裂は広がり、在地社会で領主支配をしていた諸国武士団の中にも平氏を頂点とする主従的支配秩序から取り残された勢力の不満が積もっていた。平氏は治承三(一一七九)年に後白河院政の停止と公卿層の解官を行い【平氏政権】を打ち立てた。平清盛を祖父とする安徳天皇を即位させた事により皇位継承権も望みを絶たれた以仁王(後白河の息子)は源頼政と共に平氏打倒の挙兵を呼びかける令旨を諸国へ発した。こ...

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