ヒトゲノム計画は、様々な議論・競争を経て、2000年6月に配列の概要を決定した旨の発表がなされたことにより、一応の区切りを迎えた。この計画は、国家プロジェクト、国際プロジェクト研究という、これまで生物学研究者にとって未経験の研究スタイルであった。しかし、IT革命が影を潜め始めた今、新たに注目されているバイオの開発は、将来的に前途が開けており、各国にとっての重要性は非常に高い。大規模な研究には国際的な協調体制が不可欠であり、ヒトゲノム計画に見る国際協調をより進歩させた形で実現させたいと考える。そうした観点から、ヒトゲノム計画における国際協調はどのように作られ変容してきたのか、ということをもとに、将来的にどのような体制を整えていくべきなのか、考察していきたい。
2.ヒトゲノム計画の推移
ヒトゲノム計画は、1985年、カリフォルニア大学でのワークショップで提案され、以来様々な会合や雑誌で活発な議論が展開された。技術面での不安や予算の不公平な配分に対する懸念、巨額の資金を投じてまでやる価値があるのか、等がその内容である。
そうした中で、国際的な協力体制は政府によってではなく、研究者同士の間で発生していった。1989年に作られたHUGO(国際ヒトゲノム機構)も、研究者が自発的に作った、国際プロジェクトを連携しながら進めていくための連絡機関であり、ここは政府間の調整の役割をするわけではなかった。
ヒトゲノム計画と現代国際関係
―国際協調体制強化への施策―
はじめに
ヒトゲノム計画は、様々な議論・競争を経て、2000年6月に配列の概要を決定した旨の発表がなされたことにより、一応の区切りを迎えた。この計画は、国家プロジェクト、国際プロジェクト研究という、これまで生物学研究者にとって未経験の研究スタイルであった。しかし、IT革命が影を潜め始めた今、新たに注目されているバイオの開発は、将来的に前途が開けており、各国にとっての重要性は非常に高い。大規模な研究には国際的な協調体制が不可欠であり、ヒトゲノム計画に見る国際協調をより進歩させた形で実現させたいと考える。そうした観点から、ヒトゲノム計画における国際協調はどのように作られ変容してきたのか、ということをもとに、将来的にどのような体制を整えていくべきなのか、考察していきたい。
2.ヒトゲノム計画の推移
ヒトゲノム計画は、1985年、カリフォルニア大学でのワークショップで提案され、以来様々な会合や雑誌で活発な議論が展開された。技術面での不安や予算の不公平な配分に対する懸念、巨額の資金を投じてまでやる価値があるのか、等がその内容である。
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