現代政治論

閲覧数3,028
ダウンロード数13
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    1、イデオロギーや政党の種類やその歴史の返還を踏まえ、わが国が、昨今増加傾向にある「無党派層」の政治行動についてまとめよ。
     日本における最初の政党は、1874年に結成された愛国公党であるとされている。全国的な政党の登場は、1881年の自由党と1882年の立憲改進党以降となる。しかしその頃は、薩摩、長州、土佐、肥前の四藩の出身者が政府の要職を独占する藩閥政治だったので政党はあまり力を持っていなかった。その後1898年に大隈重信の進歩党(立憲改進党から改名)と板垣退助の立憲自由党(自由党から改名)が合体して憲政党を結成し、「隈板内閣」(わいはんないかく)をつくったのが、政党内閣の最初となる。しかし政権内部の対立により、わずか4ヶ月で崩壊。その後政党は分裂や合体を繰り返し。1918年に立憲政友会による本格的な政党内閣の原敬内閣が誕生した。以後、1932年の5.15事件で犬養毅の政友会内閣が倒れるまで、いくつかの政党内閣が誕生した。しかし1938年に国家総動員法が制定され、政党は解党を余儀なくされ大政翼賛会として統一し終焉を迎えた。
     第二次世界大戦後、政党政治は復活した。1945年末までには、日本自由党、日本進歩党、日本協同党、日本社会党など、大小さまざまな政党が誕生した。日本自由党、日本進歩党、日本協同等の保守系政党はその後変遷をたどり、1955年11月15日に日本民主党と自由党が合体して、自由民主党が誕生した。これを「保守合同」という。
     日本社会党は結成後、右派と左派に分裂。内閣を担当していたこともあったが最終的に、保守合同の直前の1955年10月13日に、右派左派両社会党が合体して日本社会党が結成された。
     この自由民主党と日本社会党が、二大政党として長く対立してきた。これを55年体制と呼ぶ。その後1993年まで38年間、自民党は一貫して政権の座にあった。

    タグ

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    現代政治論
    1、イデオロギーや政党の種類やその歴史の返還を踏まえ、わが国が、昨今増加傾向にある「無党派層」の政治行動についてまとめよ。
     日本における最初の政党は、1874年に結成された愛国公党であるとされている。全国的な政党の登場は、1881年の自由党と1882年の立憲改進党以降となる。しかしその頃は、薩摩、長州、土佐、肥前の四藩の出身者が政府の要職を独占する藩閥政治だったので政党はあまり力を持っていなかった。その後1898年に大隈重信の進歩党(立憲改進党から改名)と板垣退助の立憲自由党(自由党から改名)が合体して憲政党を結成し、「隈板内閣」(わいはんないかく)をつくったのが、政党内閣の最初となる。しかし政権内部の対立により、わずか4ヶ月で崩壊。その後政党は分裂や合体を繰り返し。1918年に立憲政友会による本格的な政党内閣の原敬内閣が誕生した。以後、1932年の5.15事件で犬養毅の政友会内閣が倒れるまで、いくつかの政党内閣が誕生した。しかし1938年に国家総動員法が制定され、政党は解党を余儀なくされ大政翼賛会として統一し終焉を迎えた。
     第二次世界大戦後、政党政治は復活した。194...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。