戦国大名の登場と織豊政権

閲覧数2,207
ダウンロード数2
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    戦国大名の登場と織豊政権
    目次
    1.戦国大名の登場
    2.織田信長の天下統一事業
    3.豊臣秀吉の天下統一事業
    参考引用文献
    1.戦国大名の登場
    関東では、永享の乱で鎌倉公方足利持氏が滅亡した後、その遺子足利成氏を上杉憲実らが幕府に請うて鎌倉に迎えた。しかし、足利成氏は、上杉氏と争って下総の古河に移り、将軍足利義政の弟足利政知が上杉氏に迎えられて、伊豆の堀越に居を構え、両者対峙の形勢が続いた。こうした時、北条早雲が出て堀越公方を滅ぼし、小田原城を取り、その子孫がここを本拠として関東諸国の経略にはかった。
     越後の守護代長尾景虎は上杉謙信と称し、信濃の川中島で武田信玄としばしば戦った。中国地方では、周防の大内氏が海外貿易の全権を握って富強になっていたが、大内義隆が家臣陶晴賢に殺され衰退した。この頃安芸に勢力を扶植していた毛利元就は、陶晴賢を厳島で討ち、ついで尼子氏を滅ぼして中国地方の実権を握った。
     九州では、豊後の大友宗麟、薩摩・大隈の島津貴久らがいたが、北部の肥前では少弐氏に代わって竜造寺隆信が起こった。
    2.織田信長の天下統一事業
     ヨーロッパ人との交渉が始まった16世紀半ば頃から、戦...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。