富める者と貧しい者

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    資料紹介

     現代の世界では何百人もの人々が常に飢えており、そうでないものも、よりよい食生活によって防ぐことができる欠乏性疾患や伝染病にかかっている。
     そして貧しさというのは食糧不足だけに尽きるわけではない。ロバート・マクナマラは世界銀行総裁のときに、状況をより全体的に示すために、「絶対的貧困」という言葉を提案したが、先進工業国において我々がよく知る貧困は、相対的貧困である。それは周りに比べて貧しいというもので、他方絶対的貧困というのは、いかなる基準によっても貧しいということである。
     絶対的貧困とは、生存の限界ぎりぎりでの生活である。マクナマラはそれを、人間の品位のいかなる理にかなった定義にも満たないほどに、栄養不良、文盲、疾病、不潔な環境、高い幼児死亡率、短い平均寿命によって特徴付けられた生活条件とまとめている。
     栄養不良で死んでいく人は昨日もいて、また明日にはもっとたくさんいるかもしれない。しかし、このような大惨事は地震や洪水といった災害に比べて、報道されることは少ない。しかし、だからといって問題意識をもたないことは間違いである。
     世界はその住人を養うだけの食料や住まいを産出できないわけではない。しかし、富める国では本来貧しい人々が食べるであろう穀物を、家畜に与えているのである。問題は産出でなく分配にあるのだ。さらに、現代の農業技術をもってすれば貧しい国自身がはるかに多くのものを産出できるのである。
     それではなぜ人々は飢えているのだろうか。貧しい人々は富める国の農家が育てた穀物を買うことができないし、化学肥料や井戸水をくみ上げる機械を買うことができないのである。そして絶対的貧困に対して、絶対的豊かさも存在する。絶対的豊かさは周りと比べてではなく、人間の必要のどんな理にかなった定義から言っても豊かだということである。

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    哲学貧困善悪

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     富める者と貧しい者
    現代の世界では何百人もの人々が常に飢えており、そうでないものも、よりよい食生活によって防ぐことができる欠乏性疾患や伝染病にかかっている。
     そして貧しさというのは食糧不足だけに尽きるわけではない。ロバート・マクナマラは世界銀行総裁のときに、状況をより全体的に示すために、「絶対的貧困」という言葉を提案したが、先進工業国において我々がよく知る貧困は、相対的貧困である。それは周りに比べて貧しいというもので、他方絶対的貧困というのは、いかなる基準によっても貧しいということである。
     絶対的貧困とは、生存の限界ぎりぎりでの生活である。マクナマラはそれを、人間の品位のいかなる理にかなった定義にも満たないほどに、栄養不良、文盲、疾病、不潔な環境、高い幼児死亡率、短い平均寿命によって特徴付けられた生活条件とまとめている。
     栄養不良で死んでいく人は昨日もいて、また明日にはもっとたくさんいるかもしれない。しかし、このような大惨事は地震や洪水といった災害に比べて、報道されることは少ない。しかし、だからといって問題意識をもたないことは間違いである。
     世界はその住人を養うだけの食料や住...

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