アウグスティヌスにおける悪と自由意志

閲覧数13,280
ダウンロード数27
履歴確認

    • ページ数 : 1ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

     まず、「悪」の問題に関する中世哲学者たちの一般的な考えは『悪は善の欠如である』という考え方である。アウグスティヌスも「悪は善の欠如であって、自由意志より生ずる」と述べている。アウグスティヌスの考え方では善というのは神の善性によるものであり、それは絶対に不変的なものである。そして悪というのはその善性の不変を取り除き、可変的な善に改変しようとする自由な意思であり、その自由な意思こそ人間の第一の善の欠如である、ということである。アウグスティヌスはキリスト教に改宗する前は、マニ教の影響を受けていた。
     また、アウグスティヌスはキリスト教に改宗する前は、マニ教の影響を受けていた。マニ教は、善悪二元論であって、善なる神が世界の善を産み出し、悪なる神が世界における害悪を産み出すことになっている。つまり、世界を構成している材料は、善悪二神の中にあったものである。こうした考えは、善悪二神論の点では唯一神教たるキリスト背反することは勿論だが、アウグスティヌス以前のキリスト教徒たちの間では、世界の材料は神の中にあるとか、あるいは、どこかから持ってこられるのだとする説があった。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    アウグスティヌスにおける悪と自由意志
    まず、「悪」の問題に関する中世哲学者たちの一般的な考えは『悪は善の欠如である』という考え方である。アウグスティヌスも「悪は善の欠如であって、自由意志より生ずる」と述べている。アウグスティヌスの考え方では善というのは神の善性によるものであり、それは絶対に不変的なものである。そして悪というのはその善性の不変を取り除き、可変的な善に改変しようとする自由な意思であり、その自由な意思こそ人間の第一の善の欠如である、ということである。アウグスティヌスはキリスト教に改宗する前は、マニ教の影響を受けていた。
     また、アウグスティヌスはキリスト教に改宗する前は、マニ教の影響...

    コメント2件

    wata1016 購入
    他サイトで全く同じようなものを見かけました
    2007/01/22 0:40 (17年2ヶ月前)

    zeebra4 購入
    ナイス!
    2007/06/06 1:04 (16年10ヶ月前)

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。