SMにおけるマゾヒストの快楽

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    資料紹介

    はじめに
     「男が所有するものになるなら、望ましい形で手足をくつろげて、体のどんな部分でも、好きに使ってほしいと思う。男がわたしを望めば望むだけ、喜びが増した」そして「男のものであることの至福に浸っていた」(佐藤亜有子『首輪』1998)
     相手のものになりたい、自分の意志なんて無視して欲しい、という欲望を叶えてもらい、そこに喜びと自己の存在意義を確認している。彼女は首輪をはめられることによってそれに気付く。このような道具や言葉による責め(プレイ)を通じて精神的に解放されることがあるのは一体何故だろう。
    まずSMとは、一方が主人、他方が奴隷の役割を演じ、主人が奴隷を肉体的・精神的に責め、双方がそのことで快楽を得るものである。主人側をS(サディスト)、奴隷側をM(マゾヒスト)と呼ぶ。本論は相手に加虐や羞恥、快楽を与えられ、服従する事を悦びとし、それにより性的欲求を満たすマゾヒストに焦点を絞っていく。
    1 SMの背景
    1-1 SMの一般的解釈
     1980年代、American Psychiatric AssociationのDSM(精神状態診断統計マニュアル)第3版にあるSM関連についての掲載内容は、SMのような性的嗜好を持つことは精神障害であるというものである。その内容については多くの非難があったらしく第4版では再検討され、心身を深く傷つけたりトラウマにしたりしない限り必ずしも障害とは言えないとしている。しかし、少なくとも第3版ではSMを「何か欠落した人間が行うもの」という「障害」として扱っていた。また、多くの人々がSMを始めとした性的嗜好はアブノーマルなものとして、嫌悪の対象として見た。「一部の人々によってのみ行われる危険な行為」この認識は今もなお根強く残っている。アブノーマルな性行動について研究している多くの心理学者やメディアがSMを「精神障害」と述べた理由は単純であろう。

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    SMにおけるマゾヒストの快楽 はじめに 「男が所有するものになるなら、望ましい形で手足をくつろげて、体のどんな部分でも、好きに使ってほしいと思う。男がわたしを望めば望むだけ、喜びが増した」そして「男のものであることの至福に浸っていた」(佐藤亜有子『首輪』1998) 相手のものになりたい、自分の意志なんて無視して欲しい、という欲望を叶えてもらい、そこに喜びと自己の存在意義を確認している。彼女は首輪をはめられることによってそれに気付く。このような道具や言葉による責め(プレイ)を通じて精神的に解放されることがあるのは一体何故だろう。 まずSMとは、一方が主人、他方が奴隷の役割を演じ、主人が奴隷を肉体的・精神的に責め、双方がそのことで快楽を得るものである。主人側をS(サディスト)、奴隷側をM(マゾヒスト)と呼ぶ。本論は相手に加虐や羞恥、快楽を与えられ、服従する事を悦びとし、それにより性的欲求を満たすマゾヒストに焦点を絞っていく。 1 SMの背景 1-1 SMの一般的解釈  1980年代、American Psychiatric AssociationのDSM(精神状態診断統計マニュアル)第3版...

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