J.S.ミル

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    資料紹介

    J.S.ミル
     19世紀前半のイギリスの自由主義思想を代表するのは、「最大多数の最大幸福」というスローガンを掲げて多くの領域での改革を目論む功利主義であった。自然権や社会契約に政府の根拠を求めるのではなく、快楽の増進に政府の正当性の根拠を求めるこのグループは、改革のためには権力の集中を擁護し、投票権の拡大による議会の改革の必要を説いた。人間の啓蒙可能性と諸々の利益の調和への素朴な信念に支えられて、彼らは諸利益の深刻な対立や「多数者の専制」がその中から登場するとは考えなかった。その意味で功利主義は政治理論の最も重要な論点を見落としているといわざるを得ない。
    功利主義の再検討
     J.S.ミルはこうした政治論の世界において育った。しかし彼は当時のロマン主義的傾向に影響を受けつつ、功利主義の伝統を彼独自の方向に転換させていった。彼の「功利主義」は一方で幸福の基準として快楽の存在を挙げ、幸福の実現を善の基準であるとするベンサム的テーゼを承認する。しかし快楽はすべて同一のレベルにあるのではなく、その間に質的相違があるという観点を述べる。「満足した愚者であるよりも、不満足なソクラテスである方が優れている」という有名な言葉は、快楽の質を問わず満足度にもっぱら関心を集中してきた功利主義の立場に疑問を差し挟むものであった。ここには人格の向上に支えられた広い意味での幸福の追求がミルの重大な関心であることが示されている。
     人間の人格の展開に対するミルの強い関心は「自由論」においても見られる。ここでのテーマは政治的抑圧から自由の擁護に力点があるよりも、世論の不寛容という形での「多数者の専制」に対して自由を犯すべからざる価値として擁護することにあった。彼によれば、世論は見なれない見解や意見を異にする少数者に対して猜疑の念を抱き、多数の力によってそれを弾圧しようと試みやすい。こうした社会的抑制の存在に抗して、人間の自己責任と自らの人格を発展させる自由は万難を排しても守らなければならない。その意味で自由は快楽に従属させられるべきものではなく、それ自体価値として擁護されるべきであり、よき社会のメルマークは各人の個性や自己発展の自由の存否にある。そしてこの自由は生き生きとした批判の精神と社会の進歩をもたらし、社会の善にも寄与する。所与の快楽にすべてを基礎づけるそれまでの功利主義と異なり、人間の人格の自己陶冶と個性という新しい理念が自由主義の質的飛躍を要請しているのである。

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    J.S.ミル
     19世紀前半のイギリスの自由主義思想を代表するのは、「最大多数の最大幸福」というスローガンを掲げて多くの領域での改革を目論む功利主義であった。自然権や社会契約に政府の根拠を求めるのではなく、快楽の増進に政府の正当性の根拠を求めるこのグループは、改革のためには権力の集中を擁護し、投票権の拡大による議会の改革の必要を説いた。人間の啓蒙可能性と諸々の利益の調和への素朴な信念に支えられて、彼らは諸利益の深刻な対立や「多数者の専制」がその中から登場するとは考えなかった。その意味で功利主義は政治理論の最も重要な論点を見落としているといわざるを得ない。
    功利主義の再検討
     J.S.ミルはこうした政治論の世界において育った。しかし彼は当時のロマン主義的傾向に影響を受けつつ、功利主義の伝統を彼独自の方向に転換させていった。彼の「功利主義」は一方で幸福の基準として快楽の存在を挙げ、幸福の実現を善の基準であるとするベンサム的テーゼを承認する。しかし快楽はすべて同一のレベルにあるのではなく、その間に質的相違があるという観点を述べる。「満足した愚者であるよりも、不満足なソクラテスである方が優れて...

    コメント4件

    yamauchi127 購入
    参考になりました、
    2006/07/27 1:31 (17年8ヶ月前)

    lt002059 購入
    かなり役にたちました。
    2007/01/22 13:29 (17年2ヶ月前)

    tanuki0028 購入
    十分参考になりました
    2007/03/21 12:21 (17年前)

    kentaro1214 購入
    参考になりました
    2007/07/26 20:04 (16年8ヶ月前)

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