西洋の教師における優れた特質とその中心となる教育思想

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    資料紹介

    子どもの発見者といわれるルソーは、必ずしも教壇に立った教師ではないが、その優れた直観力で、「教育の本質」の何たるかを捉えた。彼の思想はよく「自然にかえれ」という言葉で表される。それは人間を形成する主要な力を、自然、人間、物の三つにまとめ、自然による形成だけは人為的に左右し得ず、しかも、この三つの力の方向が一致したほうがよいから、他の二つを自然の形成にあわせる必要があると述べた。このことは『エミール』の冒頭にも「神の手を離れるときは全ては善であるのに、人間の手にはいると全ては堕落してしまう」と著されている。当時の教育が大人中心に基づいて考えられていることに強く反発したルソーは、子どもは子どもとして立派に人間であると強調し、子どもの時期は大人への準備段階ではないとした。従って教育は幼児の根源的な自然(本性)を発展させるために、外からの干渉を退け、子どもの人格や自由を尊重する立場にたち、個人差のあることを認め、子どもの心身の発達に応じた教育を行うべきであるとし、その子どもに応じた教育をするべきだという消極的教育を唱えたのである。
    ルソーの思想を多大に受けた近代教育学の父ペスタロッチーは、新しい教授法を確立した。彼は少年の頃から民衆の味方になろうとし、青年時代には牧師志望から法律家志望へ、そして農業経営へと職業を変え、最終的に教育へたどりついたのである。それは、民衆は人から助けてもらうのではなく、自ら自らを助ける人間にならなければならないと考えたからであった。彼の著作『隠者の夕暮れ』には、王座の上にあっても木の葉の屋根の陰に住んでいても同じ人間、一体人間とは何なのだろうか。」という有名な言葉がある。つまり、貧富や生まれにも関わらず、人間は本質的に同じであるというのが彼の考え方である。

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    子どもの発見者といわれるルソーは、必ずしも教壇に立った教師ではないが、その優れた直観力で、「教育の本質」の何たるかを捉えた。彼の思想はよく「自然にかえれ」という言葉で表される。それは人間を形成する主要な力を、自然、人間、物の三つにまとめ、自然による形成だけは人為的に左右し得ず、しかも、この三つの力の方向が一致したほうがよいから、他の二つを自然の形成にあわせる必要があると述べた。このことは『エミール』の冒頭にも「神の手を離れるときは全ては善であるのに、人間の手にはいると全ては堕落してしまう」と著されている。当時の教育が大人中心に基づいて考えられていることに強く反発したルソーは、子どもは子どもとして立派に人間であると強調し、子どもの時期は大人への準備段階ではないとした。従って教育は幼児の根源的な自然(本性)を発展させるために、外からの干渉を退け、子どもの人格や自由を尊重する立場にたち、個人差のあることを認め、子どもの心身の発達に応じた教育を行うべきであるとし、その子どもに応じた教育をするべきだという消極的教育を唱えたのである。
    ルソーの思想を多大に受けた近代教育学の父ペスタロッチーは、新し...

    コメント5件

    hachinori 購入
    とてもわかりやすくてとても参考になりました。ありがとうございました。
    2006/03/21 23:20 (18年前)

    rokujun 購入
    大事な点と思われるところを分かりやすい言葉でまとめてあり参考になりました。ありがとうございました。
    2006/04/17 15:27 (17年11ヶ月前)

    r200604075 購入
    ポイントがわかりやすく、私が学習を進める上でとても参考になりました。
    ありがとうございました。
    2006/06/06 18:43 (17年10ヶ月前)

    yuuka1105 購入
    参考にします
    2006/07/27 0:40 (17年8ヶ月前)

    kaji.sporec 購入
    参考になりました。ありがとうございました。
    2006/11/03 13:07 (17年5ヶ月前)

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