20071205_対人関係心理学_罪悪感と恥

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    社会的感情 – 罪悪感と恥
    罪悪感(guilt feeling)とは、法律上の犯罪ばかりでなく倫理的、道徳的宗教的規範に背き過失を犯したあるいは犯そうと欲した時に感じる自己を責める感情を言うことです。こうした感情は、自尊心(pride)を低下させ、罪滅ぼしをしようという感情を起こします。一般的には、些細な過失を気にする神経質な性格の人に見られやすいです。精神分析で扱う神経症的罪悪感は超自我と自我の葛藤の現れと見なします。過剰で不適切な罪悪感はうつ病にも精神分裂病にも見られます。恥(shame)とは、他者に知られない不行跡でもみずから『罪』の意識にさいなまれる場合と違って、世評や他者の嘲笑を恐れ、恥辱を事前に回避しようとする行動形態が『恥』です。その場合、行為の基準は他者の側に置かれ、非自律的な性格を帯びるとされます。
    実は、ほかの授業にも木村先生からキティ・ジェノヴィーズ事件を教わりました。1964年3月13日の早朝、ニューヨーク市で発生しました。深夜の仕事を終え帰宅してきたキティ(キャサリン)が一人の男性にナイフで襲われました。助けを求める彼女の叫び声に38名の善良な市民が気づいていながら、誰一人として援助行動を行わなかったのです。ラタムとダーリーは、この無責任な行動の原因について、事件に気づいた人が自分以外にもいると思ったために介入行動が抑制されたのだと説明しました。つまり、傍観者効果(bystander effect)です。ラタムとダーリーにより、傍観者効果が生じる理由として次の三つを明らかにしました。社会的責任の分散、社会的影響と評価懸念です。この三つの中に私が一番注目するのは、社会的責任の分散です。なぜならと言うと、自分自身の身近にも似たような事件が起こったのです。ある一回台湾の軍隊でせっかく休暇をとって帰宅した途中の話です。実家に着いて久しぶりに祖母に会った時、突然、隣にドンッとした音を聞こえ、気づいたら近所のおじさんが足を滑らせてアパートの5階から落ちました。この情景を見た私はすぐ実家の中に入って救急車を呼ぼうとするものの、祖母が私の腕を掴んで『行くな!誰かが警察を呼んだから』と言い、私は呆然として家に入って5分後救急車が来ました。あの時の『なぜおばあちゃんに逆らわなくて電話を掛けなかったの』という罪悪感が今までまだ忘れられません。
    この『事故』を振り返ると、あの時の状況が傍観者効果によく当てはまると思います。社会規範に反した行動や動機の責任が自分にあるとする感情を解消しようとし、自分が助けに行っても何もできなかった時に恥をかくことを恐れて行いませんでした。やはり我々の判断は周囲の他者の言動や状況に左右されていると考えられます。

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