近世の女性史

閲覧数3,921
ダウンロード数34
履歴確認

    • ページ数 : 3ページ
    • 会員660円 | 非会員792円

    資料紹介

    近世を通じて女性の社会活動は極度に制約された異常ともいえる時代であった。また、それを当然とする秩序と秩序意識が長く全体を覆っていたことは否めない事実である。
     その理由を強いて挙げるならば次のことにふれなければならないのだが、近世社会を、前後の時代のそれと截然と分ける特色は士農工商の身分制度にあったことは明らかである。一種の階級秩序の元で地位や資格及び行動形式まで様々な制約を受けるが、士農工商という身分はいうまでもなく家族単位に、家職を基盤として成立し、その代表者は家長樽男性を原則とした。幕藩体制は、軍役と夫役を担う身分社会に立脚して、そのエネルギーを収斂することに支配の原理が存在するもので、表向きには徹底した男性支配の社会を建前とした。
     言い換えれば、「役」という役は男性にあてがわれ、女性は表向きの社会活動から排除され、その秩序は、或意味で当然のこととして受容されていったのだが、その理由を考えるためには「役」についてふれておかなければならない。近世の役は、すべて大なり小なり責任を伴う立場や地位を表すものでこの責任体系が社会の秩序を形作ったものである故に、家族のレベルにあっても、それは何がしかの影響を男女の関係に与えたものと考えられる。
     配偶者としての女性は家族の中にその地位を持つ。しかし、その地位に根拠を与えるものは男性であり、その地位と女性を所有するものは男性であり、家長としての責任であるとする詭弁とともに、夫と妻との対等の関係は崩れていく。男女の役割意識に、そのゆがみが伴いながら「家」の成立が進められたと考えてよいだろう。

    タグ

    レポート史学近世女性女性史

    代表キーワード

    史学女性史近世

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    室町時代を分水嶺として女性の地位は降下の一途をたどり、江戸時代の二百数十年の間に、その従属的な地位は決定的になったとされて、近世は女の顔の見えない時代と、しばしばいわれる。しかし女性の側からは、従来の抑圧された女性像に代わる、かなり自由度の高い女性の存在に光が当てられてはいるものの多くは幕末といわれる近世末期を待つことになる。            たとえば信州の松尾多勢や、歌人としても夙にその名を知られた野村望東なども政治の場に関わっているが、彼女らはあくまでパトロン的な立場であり自ら主体的に政治の表舞台に生きた女性とは言い難い。また、幕藩体制の秩序が崩れようとする時期故に与えられた活動の場でもあったのである。   近世を通じて女性の社会活動は極度に制約された異常ともいえる時代であった。また、それを当然とする秩序と秩序意識が長く全体を覆っていたことは否めない事実である。  その理由を強いて挙げるならば次のことにふれなければならないのだが、近世社会を、前後の時代のそれと截然と分ける特色は士農工商の身分制度にあったことは明らかである。一種の階級秩序の元で地位や資格及び行動形式まで様々な制...

    コメント1件

    claire104121 購入
    役をたつものだ
    2006/03/17 16:37 (18年前)

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。