宗教的人格権

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    資料紹介

    「Y会社は、職務中の事故で死亡した社員Aの葬儀を仏式の社葬で行おうとしたところ、Aの妻で熱心なクリスチャンのXは、宗教上の人格権に基づいて、その社葬の差し止めを求めて裁判所に出訴した。この差し止めは認められるか。」
    司試シ 39

     信教の自由に関する自衛隊合祀訴訟においては一審判決で、「静謐な宗教的環境の中で信仰生活を送る権利=宗教的人格権」をプライバシー権に属するものとして認めた。そして、配偶者の死を他人に干渉されること無く取り扱う利益もその人格権と考えることができる、として損害賠償の請求を認めた。個々で認められた「宗教的人格権」は、それはそれ自身では他人の権利を積極的な抵触をきたすことのない性格のものであって、当然に内在的制約に服するものではない。これにたいして団体の宗教的行為は他人の権利と積極的な抵触をきたす性格のものであり、団体の宗教の自由の享受は、個人の宗教の自由の否定ないし、侵害において可能となるのであって、一定の内在的制約を受けるものと考える。また、人の死について、その配偶者と所属団体との間には人格的結合関係において強弱があるのは当然であり、その差は法的保護の優劣に反映されると考える。
      ところが最高裁では、宗教的人格権を法的利益として認めず、原告に他者(この場合、隊友会)の信教の自由に対して寛容であることを要請し、その訴えを退けた。
      伊藤裁判官の反対意見にあるように、私は現代の他者からの望まない干渉により心の静謐を妨げられない権利を人は有するものであり、その侵害は不法行為を構成すると考える。特に信仰心については、崇高かつ極めて個人的な内面の事柄であり、当人にとってそれは人格の核心をなす重要なことである。

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    「Y会社は、職務中の事故で死亡した社員Aの葬儀を仏式の社葬で行おうとしたところ、Aの妻で熱心なクリスチャンのXは、宗教上の人格権に基づいて、その社葬の差し止めを求めて裁判所に出訴した。この差し止めは認められるか。」
    司試シ 39
      信教の自由に関する自衛隊合祀訴訟においては一審判決で、「静謐な宗教的環境の中で信仰生活を送る権利=宗教的人格権」をプライバシー権に属するものとして認めた。そして、配偶者の死を他人に干渉されること無く取り扱う利益もその人格権と考えることができる、として損害賠償の請求を認めた。個々で認められた「宗教的人格権」は、それはそれ自身では他人の権利を積極的な抵触をきたすことの...

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