心理学課題レポート:人格の統合に関する一考察 ―モートン・プリンス著『失われた私を求めて』をもとに―

閲覧数1,023
ダウンロード数1
履歴確認

    • ページ数 : 11ページ
    • 全体公開

    資料紹介

    心理学の課題レポートです。モートン・プリンス[1994]をもとにレポートを書くようにというのが課題でした。レポートでは、内容を要約した後に、人格の所有に関して考察を加えています。評価はAでした。

    参考文献
    ・著モートン・プリンス, 訳児玉憲典[1994]『失われた〈私〉をもとめて―症例ミス・ビーチャムの多重人格―』学樹書院。

    資料の原本内容

    人格の統合に関する一考察

    ―モートン・プリンス著『失われた<私>を求めて』をもとに―
    1. はじめに

     本稿では、モートン・プリンス著『失われた<私>を求めて』の第一部を検討していく。筆者は、同書を読み、複数の人格を持つ場合、一つしかない身体の所有権は誰にあるのか疑問に思った。ゆえに、本稿の主目的は、解離性同一性障害の人格を統合することへの是非を論じることにある。以下、同書の要約をしたのちに、考察を加えていく。なお、著者とは「モートン・プリンス」を指す用語とする。筆者とは、本稿を執筆する「私」を指すものとする。
    2. 第一部の検討

     

     2.1. 第1章 はじめに

     被験者は、ミス・クリスティーン・L・ビーチャムである。彼女は、自分の中にいくつかの人格が発達した女性である。三人の異なる人格を持っている。正確に表現するならば、解体された(Disintegrated)人格といえよう。解体は、ひとつの機能的な解離(Dissociation)であるにすぎず、正常な状態へと連合可能である。

     人格の交代時に、同時に機能する第二の意識を形成するかもしれない。これが、潜(在)意識と呼ばれるものである。

     
    2.2. 第2章 ビーチャム

     三つの人格は、自分たちの問題が皆に知られるのを避けようとしていた。事実、隠ぺいに、成功していた。しかし、その対価として、一風変わった理解できない人と周囲には見られていた。この演技をするために、彼女は、推測力を発達させた。つまり、新たな事態をみてとる能力、前に何があったかを正しく推論する能力、自らの無知を漏らすことなく相手の話に合わせる能力、ほとんどどんな事態にも矛盾しない解釈を許すような返答を為す能力、といった才能である。

     ビーチャムの子供時代は、神経質で感受性が強く、白昼夢にふけっていた。つまり、過度に感情に左右されやすかったのである。彼女は、母親からの愛情を十分に受け取れなかった。しかしながら、その原因を自分に帰し、母親を理想化していた。彼女が、13歳のとき、母親が亡くなった。これは、彼女の精神に大きな衝撃を与えた。16歳のときに家出するまで、ヒステリーを育む環境の中にあった。また、彼女には、自然とトランス状態に陥る癖があった。

     ビーチャムを催眠状態にすると、別の人格が現れた。そこで、ビーチャムをBⅠと呼び、その催眠状態をBⅡと称することにする。さらに現れた第三の状態をBⅢとする。のちに、四番目の状態が発達したので、これをBⅣと呼称する。不思議なことに、三者の健康状態は異なっていた。仮に、不健康が身体の変化にもとづくならば、全ての人格が同じ苦痛を覚えるはずである。しかしながら、BⅠは不健康であったし、BⅣは壮健であった。これらの人格は、主自己と同時に存在することから、潜意識、潜意識人格と名付けられよう。
    2.3. 第3章 サリーの誕生

     著者は、ビーチャムに催眠暗示を試みた。彼女は、極度の被暗示性があり、この種の治療が有益であった。「そのときになって、永続的な治癒は、人格の解体された諸要素の統合の結果としてのみえられることが明らかになったのである」と述べている。つまり、人格の統合を治療目標とした。

     ビーチャムは治療の時は、疲れ果てた顔をしていた。が、治療以外の場面では、もっと明るく楽天的であったという。彼女は、遠慮がちな性格であったため、病的状態に関しての知識を得ることは困難であった。

     BⅡという催眠下の自己は、目覚めているビーチャムと同じ人格である。彼女は、ビーチャムと自分自身を区別していない。他方、覚醒しているときのビーチャム(BⅠ)は、催眠状態の自分自身についてなんの知識も記憶ももたない。目覚めた途端、全て忘れる。また、催眠下では。強い受動性がみられた。

     BⅢが登場したとき、第二の催眠状態だと思われていた。しかし、後に、真正の一人格であることがわかった。また、個性的な人格でもあった。BⅢは、クリス、サリーと名を変えていった。

     BⅢが、ビーチャムと自己を区別するようになる。つまり、ビーチャムが話したことを否認したり、ビーチャムを「彼女」と呼び、三人称を使うようになったりしたのである。覚醒状態のビーチャムとなぜ異なると言い張るのか。彼女は、軽蔑するかのように「なぜって、彼女は馬鹿なんだわ。ぼんやりと半分眠った状態で動き回り、頭を本に埋めているのよ。彼女はいつだって自分が何しているのかわからず、自分をどうしていいのかわからないのよ」と述べた。

     BⅡは、自分は眠っているビーチャムとはっきり言うか、それとも、そのような言い方をひとつの専門的な表現として反対することなくうけいれるかのどちらかだった。他方、BⅢは、最初から眠っていることを拒んだ。ちゃんと目覚めていると言い張り、自分は違う人物だと主張した。

     BⅢは、ビーチャム(BⅠ)とBⅡを区別せず、催眠下での質問にも関わらず、著者の質問によって混乱させられるビーチャムについて語ったことは、注目に値する。もっと重要なのは、BⅢが、わたしがBⅡにしゃべったことすべてを完全に知っていることを明らかにした事実である。

     ビーチャムが読んだ本の内容が分かるのか、という問いに対して、BⅡは、「わかることもあるわ。あたしが注意をむけるものもあるからね。けど、注意をむけてもわからないときもあるわ、彼女にはわかるのに。それに、彼女がわからなくてあたしがわかるときもあるわ」と語った。

     心理学的な二つの疑問が残る。第一は、彼女の共意識生活の領域の範囲はどうかということである。つまり、彼女が一共意識となったとき、彼女の精神的諸過程の量は普遍のままだったのか、あるいは増大したのか、それともそれは基本的な部分に減少したのか、ということである。第二は、彼女の潜意識生活はBⅠのそれのいたずっと存続したのか、それともそれは、特別の刺激によって喚起される一定の状態かで突発的にのみ存続するにいたったのかということである。
    2.4. 第4章 自動症のはじまり

     BⅡ(クリス)は、出現して間もないころ、自慢する傾向があった。さらに、ビーチャムより知能が優れていると主張し、彼女をあざけった。クリスが、最初から他の自己に対して強い嫌悪と軽蔑を示したことは、興味深い事実である。ビーチャムの理想とその潜意識自己の理想の違いは、あえず興味深い研究をもたらした。ビーチャムの顕著な特徴のひとつは、責任と義務の感覚である。

     クリスは、一潜意識人格としてビーチャムが考え事にふけっているときに、ビーチャムが観察しないことを観察し、またビーチャムが忘れたかそれともけっして知らなかった多くのことを覚えていたのである。さらに、潜意識的に、ビーチャムの行為に干渉したり影響したりすることもできた。

     ビーチャムに、容易に幻視がひきおこされることは強い被暗示性を示したが、それはあとでわかるようにかなりの意義をもつ事実である。

     クリスが途上してからの二カ月は、BⅡと同様に、わたしの前でソファーにすわって目を閉じたままであった。明らかにそれは、催眠を起こすそもそもの暗示のせいであり、暗示は実際、まぶたを閉じるという観念を含んでいた。BⅡは理にかなったものならどんな暗示も抗議することなくうけいれたのであるが、クリスは最初から、いかなる点でも他の人の影響力に屈するまいとする自分自身の意思と個性を示したのである。

     ビーチャムはあるとき、虚言を自らの意思に反していってしまった。これは、著者がBⅡにかけた暗示のせいである。その暗示とは、「誰の個人的な影響も受けない」というものであった。明らかに、彼女の虚言は、もうひとつの意識にあったのであり、もうひとつの意識の思考は隠されていた。ビーチャムはみずからの自動症的な思考および談話を知っていたが、衝動的な現象においては、全く知らなかった。これに関する注意点は、ビーチャムの思考と、彼女の強制的な(自動症的な)言動の関係、また同様に、クリスの思考と言語中枢の関係である。
    2.5. 第5章 不安定と被暗示性

     みるからに身体的に健康な人間が、些細な原因でそんなにも「バラバラにされ」うることは不思議であった。ビーチャムは、ここ四、五年、雷雨が酷く怖いといった。BⅡは、そのきっかけを覚えていた。プロヴィデンス病院での夜のことであった。すごい稲妻の閃光が走り、彼女はせん妄状態の患者が自分めがけて廊下をかけてくるのを見た。患者は彼女を捕まえたが危害は加えなかった。患者を見た彼女は大変な恐怖に襲われた。その時以来、彼女は雷雨を酷く恐れるようになったのである。

     解離には、その対象を認知する必要がある。しかし、誰がそれを最初に認知するのだろうか。ビーチャムは、覚醒状態において与えられた暗示によって解離がもたらされた。しかしながら、通常は、催眠状態において暗示は与えられる。失われた感覚が催眠下で想起される以上、ビーチャムがその刺激を知覚していたに違いない。これは、知覚が潜意識的なものにとどまっていたことを示す。つまり、個人的な知覚から解離されたままだったに違いないことを意味する。

     交代人格はでは、二つの人格の記憶が融合させられると、その結果としての人格は、ちょうど、忘れた記憶を取り戻す人のように、失われた経験をそれ自身のものとして思い出す。したがって、知覚の消失、催眠下で、以前に解離された触覚その他の感覚をその催眠下の意識の統合が生じたとする。そのときには、後者はそれをそれ自身のものとして思い出すのである。

     心はあらゆる形で解体される。ヒステリーの知覚消...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。