『徒然草』における美意識について

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    目の前にあるものを見つめるのではなく、何もない状態で心に浮かんでくるあ
    れこれを書き連ねたのが『徒然草』である。「つれづれなるままに、日暮らし、
    硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、
    あやしうこそものぐるほしけれ。 」
    『徒然草』の「つれづれ」とは、何もすることがない状態である。吉田兼好が
    生きた鎌倉時代では、立身出世という社会的に高い地位について名声を得ること
    を理想の生き方とする風潮があったが、兼好は世への執着を捨て、何も持たない
    ことを精神的豊かさだと考えた。
    吉田兼好のように俗世を離れて趣味の世界に生きた人々のことを遁世者という。
    「遁世者は、なきにことかけぬやうを計ひて過る、最上のやうにてある也」…
    遁世者は、何もなくても不都合だと思わないように生活するのが最上である。
    遁世者にとっては、あることが美しいのではなく、ないことが美しいのである。
    貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識、閑寂な中に、奥深いもの
    や豊かなものがおのずと感じられる美しさ、つまりこれは日本独自の美意識「わ
    びさび」=侘び・寂び、のルーツだとも言えるで...

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