自己決定権と死ぬ権利

閲覧数3,045
ダウンロード数3
履歴確認

    • ページ数 : 1ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    最高裁において、宗教上の信念から絶対的無輸血の意思を有している患者に対し、医師が手術をするにあたって、十分な説明をせずに輸血をしたときに、患者の人格権を理由とする不法行為責任が成立することを認めた初めての判決が出された。(平成12年29日)。
    本件は、輸血拒否をする患者に対する意思の説明義務の有無が争点となった。患者は「絶対的無輸血」を、生命の維持よりも優越的な価値とすることを事前に医師に伝えていたにもかかわらず、その意思が裏切られる結果となったのである。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    子供の自己決定におけるパターナリズムの必要性
    ~「エホバの証人」信者輸血拒否を通して~ 
     最高裁において、宗教上の信念から絶対的無輸血の意思を有している患者に対し、医師が手術をするにあたって、十分な説明をせずに輸血をしたときに、患者の人格権を理由とする不法行為責任が成立することを認めた初めての判決が出された。(平成12年29日)。
     本件は、輸血拒否をする患者に対する意思の説明義務の有無が争点となった。患者は「絶対的無輸血」を、生命の維持よりも優越的な価値とすることを事前に医師に伝えていたにもかかわらず、その意思が裏切られる結果となったのである。患者の意思は、各個人が有する自己の人生のあり方(ライフスタイル)は自らが決定することができるという自己決定権に由来するものである。つまり、「輸血」という、他の人間の血液によって生命を維持された体を前提にした「生」は、断固として受け入れられないというのである。最近見られる、患者の自己決定や価値観を重視した全人格的医療の提唱は歓迎すべき傾向であろう。
    アメリカでも、「エホバの証人」の患者に対して、患者が判断能力のある成人である場合には、自己決定権...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。