≪聖徳短通信≫わが国における児童観の変遷発展について、近代以前(明治以前)、近代(明治以降第2次世界大戦終了)、現代(第2次大戦終了後)の3区分によって、特徴的なことを説明しなさい。

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    1.近代以前の児童観について

     近代以前は、原始的な血縁共同体社会である氏族社会で、生活のすべては家長を中心とした共同生活であり、共同体の中の相互扶助のもとで生活が営まれていた。子どもは家長の一所有物にすぎず、子どもの人格は全く認められていなかった。わが国における最初の児童救済事業は、仏教思想による慈悲を背景として、聖徳太子が四天王寺に設けた施薬、療病、悲田、敬田の四院のうちの、悲田院を孤児、捨て子の収容保護にあてたとされている。

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    1.近代以前の児童観について
     近代以前は、原始的な血縁共同体社会である氏族社会で、生活のすべては家長を中心とした共同生活であり、共同体の中の相互扶助のもとで生活が営まれていた。子どもは家長の一所有物にすぎず、子どもの人格は全く認められていなかった。わが国における最初の児童救済事業は、仏教思想による慈悲を背景として、聖徳太子が四天王寺に設けた施薬、療病、悲田、敬田の四院のうちの、悲田院を孤児、捨て子の収容保護にあてたとされている。
     鎌倉時代に入り、親の権力は一層強くなり、親に対して子どもは絶対服従といった忠孝思想が支配し、子どもは独立した人格をもった存在としてみられなかった。単なる労働力や商品とみなされ、人身売買も行われていた。
     室町時代から戦国時代にかけては、戦乱の中、農民や町民の暮らしはとても貧しく、相互扶助も機能せず、堕胎、間引き、子女の売買等が後を絶たなかった。ただこの時期に、ザビエルやアルメイダといったキリスト教の宣教師たちによる救済施設等の設置によって、孤児、捨て子の救済が行われた。
     江戸時代に入ると、幕府と藩の摂取と度重なる天災、飢饉等で農民の生活は困窮をきわめ、そ..

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