「帝国大学」について

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    1日本の帝国大学
    1.1 はじまり
    日本の帝国大学制度は,1880 年代に入って憲法の制定作業に入った伊藤博文 (当時,参議) らによって構想された。
    明治15(1882)年3月、伊藤は憲法調査のために一年余り渡欧にした。プロイセン・ドイツの国家教育法制は、英・米・仏の公教育法と比較するとき、歴史的にも原理的にも様々な特性を持っていた。プロイセン・ドイツの国家教育法制は、発展途上の立憲君主制下の教育法制として、独自の絶対主義的な面を持っている。そこで行われる国家教育は、著しく宗教的・政治的性格を持ち、また徹底した中央集権的教育課程行政によって支配されていた。逆に、宗教的・政治的中立性や、教育の教育行政に対する自主性の原理が確立されていなかったともいえる。
    伊藤は、そのような国家教育法制を持つプロイセン・ドイツは日本の天皇制に合致すると考えた。(ここは私の記憶。詳しく史料を見て、伊藤の立場と考えを読み取った上での論述をしたい。)そして、プロイセン・ドイツやオーストリアの国法学者たちから、その中で大学の国家経営が重要であることも学んできた。
    明治18(1885)年12月22日、太政官制を廃止し、内閣制を実施され伊藤が初代内閣総理大臣となり内閣を組織した。そして、初代文部大臣森有礼と図り、帝国を代表する政府直轄の大学設立に入った。翌明治19(1886)年3月2日「帝国大学令」を公布した。同時に、東京大学を帝国大学と改称し、大学院を設置した。
    1.2 帝国大学制度−帝国大学令−
    帝国大学の制度は、帝国大学令
    帝国大学は、分科大学と大学院から成る総合大学で〈国家ノ須要ニ応スル〉 (帝国大学令 1 条) 専門教育と学術研究を進める機関とされ,学位審査権も与えられた。
    1.3 帝国大学
    1.3.1 東京大学
    既設の東京大学 (1877 創立) が帝国大学に改組され,管理組織として総長,評議会などが置かれた。

    資料の原本内容( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    「帝国大学 ていこくだいがく」について
    はじめに
     研究史を読む上で、帝国大学出身者の論文を読むことが多い。帝国大学とはなにか、またどのようなことがなされ、目標としたこととは何か、実際にはどのような働きをしたか等を知りたくなった。
     帝国大学という字句からは、次に示す意味が出てくる。
    (1)1886 年から 1947 年にかけての日本の官立総合大学の名称。
    (2)1886 年から 97 年にかけての東京大学の校名。
    (3)世界大学史のうえでは,1806‐08 年にフランスでナポレオン法典によって定められた総合的・中央集権的なUniversitレ impレriale (帝国大学) をさす。
     ここで論じる、帝国大学は(1)の意味である。日本の帝国大学は1886年公布の帝国大学令により、1887年創立の東京大学を前身として創設された。その後、次いで明治40(1907)年東北,明治43(1910)年九州,大正7(1918) 年北海道、朝鮮に大正14 (1924) 年京城,台湾に昭和3 (1928) 年台北、昭和6(1931)年大阪,昭和11 (1939) 年名古屋 と次々に設置された。日本内..

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