中世・近世の罪と罰

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    ◎ 刑罰の種類   公刑と私刑の区別が曖昧
     ・生命刑━斬刑一種。死罪、時に断罪とも言った。謀反のような重罪には梟首も行われた。
     ・刑自由━流(流罪、流刑とも言う)
         主な配流地 夷島、伊豆大島、薩摩、奥州、安房、佐渡、日向、硫黄島、対馬
         その島の御家人に預けて監視せしめた。
    ━追放(追却とも)
     幕府御所中の追放、鎌倉追放、住居地の追放などがある。
    ━召籠(召禁、禁獄とも) 京都に大牢があった。
    ・財産刑━所領、所帯の没収が主。収公、召放とも言い、所職没収の場合は改易とも   
    呼んだ。所領全没収の他に、二分の一、三分の一、五分の一の没収もあり、時には没収に代えて、寺社、道路、橋などの修理等を自己負担で命ずる事もあった。また所領を有しない際は、これに代えて流罪に処すなどした。
    ・栄誉刑━武士にのみ適用。永久召仕、止出仕、勘当、などがある。
    ・肉刑 ━庶民にのみ適用。指切、火印捺、片鬢剃などがある。火印捺は、火印を犯人の顔面に捺すことで、窃盗、人売などに適用された。片鬢剃は、「女捕」などと呼ばれた道路における強姦に適用され、片方の鬢髪を剃り除く刑。
    これらの肉刑は犯罪者と一般人を区別し、犯罪を予防する目的とは別に、単に受刑者に苦痛を与える目的ではなく、その外見を変える=異形のものにすることに比重がかけられていたのではないか。
    また身分によって同じ犯罪でも刑罰が異なっていた

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    中世・近世の罪と罰                
    はじめに  なぜこのテーマか。
    鎌倉時代~江戸時代前期
    鎌倉時代
    鎌倉時代の刑法は平安中期以降、武士の間に発達した「武士の道理」、すなわち封建的道徳が強く反映されていて、道理は法の根本理念を為していた。中世、特に幕府の刑法は、封建社会の維持が目的であるが、刑罰の目的は一般予防(威嚇)に重点が置かれていた。鎌倉時代の史料に、しばしば刑罰を科する理由を、「後輩を懲さん為である」と記されているが、このことがその証拠ではないだろうか。
    御成敗式目第10条 父子に咎を相互に懸けること
    〃 第11条 夫の罪を妻に懸けること
    また、連座、縁坐の制について、行われていたのは確かだが、全ての場合に懸けられるのではなく、相当広い範囲でこれを免除する規定があったとされている。すなわち、鎌倉時代においては、縁坐、連坐の制も存在するが、制限する傾向にあったのではないか。
    このことは一般予防主義的であったが、まだそれが全面的なものではなかったという事を示していると言える。この一般予防主義の比重は室町時代、戦国時代と除々に大きくなっていく。
    刑罰の種類   公刑と..

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