興福寺南円堂不空羂索観音

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     私は興福寺南円堂の現本尊である不空羂索観音について考察したい。興福寺の不空羂索観音はもとは講堂の本尊であったとされ、延暦期に本像は移動されたと考えられている。また、治承4年に興福寺は消失しており、その後に再建とともに、不空羂索観音をはじめとした諸像も再興された。
     そこで、私は不空羂索観音の作られた当初の目的、その後、南円堂に移された後の本像の意味、さらには再興時の本像の意味について意味の変化とその背景について、麻木脩平氏の「興福寺南円堂の創建当初本尊像と鎌倉再興像」仏教芸術160を参考にして考えていきたい。
     まず、興福寺講堂および、南円堂に関する根本史料を見たい。
     『山階流記』講堂の条
    一 講堂一宇。天平流記云。講堂一基。弘仁記長13丈九尺。高二丈二尺五寸云云。九間。
    間別一丈六尺。金皆用架端延暦廣一丈六尺塗裁銅。延暦記柱高一丈五尺五寸。寶字記云。
    安置佛者。不空羂索灌音自在一。御法務高一丈六尺房。後移何圓堂云云。可尋之。右。從二
    位藤原夫人。參議正四位下民部卿藤原朝臣。以天平十八年歳
    次丙戌正月。爲先考先妣。所造立也云云。延暦記云。不空羂索菩薩一。在寶殿云云。或記
    云。天平十七年乙酉正月。正三位牟漏女王。寢膳違例。願造像
    併神呪經千巻。而藏山逐遷。不果其願。孝子從二位藤原夫人。
    正四位下民部卿藤原朝臣私云。勘云仲丸。改名押勝。併願先志。當忌日造。此次字併
    行三行銷失也。
    延暦記云。□□貮基。各敷紫端茵一枚。各懸雜玉小幡。併冑甲蓋。上居金色鳳形。各七翼。各漆足。
     別机獣尾 机一具。黒肺脇息一足。在褥。  如意一柄。
    弘仁記云。阿弥陀丈六一。脇侍菩薩二。各在光座。併金色。彩色四
    天王像四柱。在光座。彩色天井一蓋。寶三蓋。各著□形。四王怙座榻四前。各敷

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     私は興福寺南円堂の現本尊である不空羂索観音について考察したい。興福寺の不空羂索観音はもとは講堂の本尊であったとされ、延暦期に本像は移動されたと考えられている。また、治承4年に興福寺は消失しており、その後に再建とともに、不空羂索観音をはじめとした諸像も再興された。
     そこで、私は不空羂索観音の作られた当初の目的、その後、南円堂に移された後の本像の意味、さらには再興時の本像の意味について意味の変化とその背景について、麻木脩平氏の「興福寺南円堂の創建当初本尊像と鎌倉再興像」仏教芸術160を参考にして考えていきたい。
     まず、興福寺講堂および、南円堂に関する根本史料を見たい。
     『山階流記』講堂の条
    一 講堂一宇。天平流記云。講堂一基。弘仁記長13丈九尺。高二丈二尺五寸云云。九間。
    間別一丈六尺。金皆用架端延暦廣一丈六尺塗裁銅。延暦記柱高一丈五尺五寸。寶字記云。
    安置佛者。不空羂索灌音自在一軀。御法務高一丈六尺房。後移何圓堂云云。可尋之。右。從二
    位藤原夫人。參議正四位下民部卿藤原朝臣。以天平十八年歳
    次丙戌正月。爲先考先妣。所造立也云云。延暦記云。不空羂索菩薩一軀。在寶殿云云。或記
    云。天..

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