永井荷風〜『東綺譚』の下町風流〜

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    1、はじめに
     永井荷風の小説の中で最高峰とされる『東綺譚』はその江戸へのノスタルジーの表象として、情緒深いものがある。ここで、永井荷風の略歴を紹介する。明治12(一八七九年)〜昭和34(一九五九年)。東京都生まれ。本名、壮吉。19歳のときに広津柳浪に入門、その後フランスの自然主義作家ゾラに傾倒し、現実の醜さを赤肌肌に描写した『地獄の花』(明治35)などを書いた。明治36年、父の勧めで渡米し、ミシガン州の大学で学ぶ。その後、フランスを経て41年に帰国。米仏滞在を記念して『あめりか物語』(明治41)『ふらんす物語』(明治42)を刊行した。帰国後は江戸文化に傾倒して、明治42年、滅び行く江戸情緒を描いた『すみだ川』を発表。翌年、文芸雑誌『三田文学』を創刊し、自然主義の『早稲田文学』と対立した。大正期には『腕くらべ』(大正6)、『おかめ笹』(大正9)など、花柳界の風俗を描いた作品を発表した。昭和に入ってからは、私娼街の女性とのふれあいを描いた『東綺譚』(昭和12)がある。また、大正6年から死の前日までの日記『断腸亭日乗』の評価も高い。
     そこで、ここでは『東綺譚』について分析し、永井荷風が何を表したかったのか考察していく。なお、このレポート中の本文は「永井荷風―ちくま日本文学全集―」(筑摩書房)の『東綺譚』による。
    2、「東綺譚」の下町風景について
     そこは東京・向島の玉の井。細い路地に立ち並ぶ娼家。ごたごたたて連なった商店の間の路地口には『ぬけられます』とか、『安全通路』とか、『京成バス近道』とか、あるいは『オトメ街』あるいは『賑本通』などと書いた灯がついている。(p312.l12〜l14)
     そして、この小説の主人公「大江匡」が私娼「お雪」とであったのもこの街であった。もともと田んぼを埋め立てて作られた町は、曲がりくねった畦道沿いに銘酒屋が立ち並び、細い路地が入り込み迷路のような町になった。

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    1、はじめに
     永井荷風の小説の中で最高峰とされる『濹東綺譚』はその江戸へのノスタルジーの表象として、情緒深いものがある。ここで、永井荷風の略歴を紹介する。明治12(一八七九年)~昭和34(一九五九年)。東京都生まれ。本名、壮吉。19歳のときに広津柳浪に入門、その後フランスの自然主義作家ゾラに傾倒し、現実の醜さを赤肌肌に描写した『地獄の花』(明治35)などを書いた。明治36年、父の勧めで渡米し、ミシガン州の大学で学ぶ。その後、フランスを経て41年に帰国。米仏滞在を記念して『あめりか物語』(明治41)『ふらんす物語』(明治42)を刊行した。帰国後は江戸文化に傾倒して、明治42年、滅び行く江戸情緒を描いた『すみだ川』を発表。翌年、文芸雑誌『三田文学』を創刊し、自然主義の『早稲田文学』と対立した。大正期には『腕くらべ』(大正6)、『おかめ笹』(大正9)など、花柳界の風俗を描いた作品を発表した。昭和に入ってからは、私娼街の女性とのふれあいを描いた『濹東綺譚』(昭和12)がある。また、大正6年から死の前日までの日記『断腸亭日乗』の評価も高い。
     そこで、ここでは『濹東綺譚』について分析し、永井荷..

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