イギリス労働党の変遷

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    トニー・ブレアが率いる労働党は、2001年の総選挙で大勝利を勝ち取った。1997年の総選挙では、新鮮なイメージを持つ若い党首ブレアが英国内だけではなく、世界的な注目を浴びた。前メージャー保守党政権から引き継いだ好景気を継続させることに成功し、その政権運営と経済政策は手堅く、評価されている。
    それでは、現在のこの労働党の源泉なるものを辿っていこう。
    1893年ジェームズ・ケア・ハーディが、ブラッドフォードで世界初の本格的労働者政党独立労働党を結成する。この独立労働党と、1884年に結成されたマルクス主義的な社会民主連盟、ウェッブ夫妻、バーナード=ショーらが結成した漸進的な福祉国家の建設をめざすフェビアン協会等が集まって1900年にマクドナルドを委員長とする労働代表委員会が発足された。この委員会は、産業労働者の利益を守るため、下院に議席を獲得することを目標発足されたもので、1906年の総選挙では51名立てた候補者のうち30名が当選、労働党として成立した。第一次世界大戦中、一部の有力議員は、アスキース内閣やロイド・ジョージ内閣で大臣にも任命された。
    1918年に生産、流通等の国有化を党の綱領に入れた。これは、「第4条」と言われ、労働党は社会主義政党としての体裁をはっきりと示したが、後にトニー・ブレアが党首になってから1995年、国有化条項を除くことになる。1924年、労働党党首ラムゼイ・マクドナルドが少数内閣を率いたが、10ヶ月後内閣不信任案が可決されたため総選挙を行った。その総選挙で保守党に敗れ、保守党に政権交代した。1929年にマクドナルド労働党は再び、少数内閣を率い、1931年まで政権を担った。世界的な不況のため労働党政権は次第に保守的な政策を取り始めたが、閣内の対立を生み、党首のマクドナルドは、「国民政府」をうたって保守党、自由党と協力して総選挙を実施した。しかし、労働党そのものは、独自の選挙戦を戦い、52議席と惨敗を喫した。これ以降、マクドナルドは、労働党から裏切り者と見られることになる。マクドナルドは、1931年の総選挙後も政権を継続して担当し、1935年、保守党のスタンレー・ボールドウィンに代わるまで首相を務めた。

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    トニー・ブレアが率いる労働党は、2001年の総選挙で大勝利を勝ち取った。1997年の総選挙では、新鮮なイメージを持つ若い党首ブレアが英国内だけではなく、世界的な注目を浴びた。前メージャー保守党政権から引き継いだ好景気を継続させることに成功し、その政権運営と経済政策は手堅く、評価されている。
    それでは、現在のこの労働党の源泉なるものを辿っていこう。 1893年ジェームズ・ケア・ハーディが、ブラッドフォードで世界初の本格的労働者政党独立労働党を結成する。この独立労働党と、1884年に結成されたマルクス主義的な社会民主連盟、ウェッブ夫妻、バーナード=ショーらが結成した漸進的な福祉国家の建設をめざすフェビアン協会等が集まって1900年にマクドナルドを委員長とする労働代表委員会が発足された。この委員会は、産業労働者の利益を守るため、下院に議席を獲得することを目標発足されたもので、1906年の総選挙では51名立てた候補者のうち30名が当選、労働党として成立した。第一次世界大戦中、一部の有力議員は、アスキース内閣やロイド・ジョージ内閣で大臣にも任命された。
    1918年に生産、流通等の国有化を党の綱領..

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