連関資料 :: フランク王国

資料:2件

  • フランク王国の盛衰とその文化
  • 次にカール大帝の戴冠について見ていく。小ピピンの子であるカール大帝(シャルルマーニュ)は、まず教皇の要請でイタリアに出兵、ロンバルト王国を滅ぼし、北はゲルマン民族の一派サクソン族を討ちキリスト教化し、東はモンゴル系アヴァール族をしりぞけ、南はイスラム教徒と戦い破って、西ヨーロッパの大部分を統一した。こうして大フランク王国をつくり上げたカール大帝は、この大国の統治に当たって、中央集権化をはかり、全国を多くの州に分け、各州に伯を置いて統治させた。 伯にはそれぞれの地方の有力者を任命し、巡察使を派遣して伯を監督させた。彼はまた、学問や文芸の復興をはかり、イギリスの神学者のアルクインらを招き、教育や文化を保護・奨励し、いわゆるカロリング=ルネサンスを現出したのである。800年のクリスマスの日、カール大帝は聖ペテロ聖堂で礼拝中に教皇レオ三世からローマ皇帝の帝冠を授けられた。教皇レオ三世はフランク王国を支配するカール大帝なら東ローマ皇帝と対等な権威になれるとみて、カール大帝をローマ皇帝になり上げたのである。このカールの戴冠は政治的・宗教的・文化的意義を持つ重要な出来事であった。政治的意義は、西ヨーロッパ世界がビザンツ(東ローマ)帝国に対抗できる一つの政治的勢力としてまとまり、東ローマ帝国から独立し、西ヨーロッパ世界が成立したことである。その意味から、ゲルマン人であるカール大帝に与えられたのは、西ローマ皇帝の帝冠であり、これによって「西ローマ帝国」が復活したとみなしている。そして宗教的意義は、フランクを後ろ盾としてローマ=カトリック教会がビザンツ帝国(東ローマ)皇帝から独立した地位を得たことである。また文化的意義としては、ギリシア・ローマの古典文化の要素とキリスト教的要素に、新たにゲルマン的要素が加わり、ヨーロッパ文化圏が成立したことがあげられる。
  • レポート 史学 フランク王国 カール大帝 ヨーロッパ
  • 550 販売中 2005/07/31
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