連関資料 :: 『文化大革命十年史』を読んで

資料:2件

  • 文化革命読ん
  • 文化大革命は中国および世界の歴史において最も異様な現象であった。10年にわたって続いたこの内乱による死者は3万4千8百人におよび、中国の経済損失は5千億元に達したという。しかし、中国および世界の情勢に決定的な影響を与えたこの歴史的大事件への本格的研究は今までなかったという。本書は1989年の第2次天安門事件前に政治の民主化を勇気をもって主張した著者が、膨大な資料に基づき文革の背景と全過程を詳細に究明し、その歴史的意義を真っ向から問うたものである。しかし、筆者の様々な事象への目配りや文革の本質への言及は高く評価されるべきものではあるものの、本書は基本的には歴史的事実を解明するに留まっていると考える。理路整然と文革の進展を説き起こしていきつつも、文革を毛沢東の権力への執着や、林彪や四人組ら「君側の奸」の私利私欲に基づく「愚行」と感情的に捉える側面があることは否定できない。文革の10年を狂気と野心の産物として片づけるのではなく、なぜこのような狂乱がこれほど長い間続けられたのかを徹底的に追究せねばならない。むろん様々な要素が絡み合い複雑怪奇の様相を呈す文革を全面的に検討することなど、私の力量では不可能である。本レポートは文革を主導した毛沢東の政治理念について若干考察することで、文革理解の一助とならんことを目指すものである。  文革の検討に入る前に、文革以前の中華人民共和国と毛沢東を大ざっぱに見ておこう。1949年、中華人民共和国を建国した毛沢東は、まず農村の振興と農民の生活安定を第一とし、農民集団的な力による自力更正を重視した。農村には人民公社・生産大隊・生産小隊が組織され、勤勉、扶養、親和協力が要求された。自由競争は否定され、外国貿易は抑制され、商業は限定された。農民労働者も国家の高官も、質素倹約に努めることが要求され、ファッションも宝石も豪邸も禁じられた。  むろん毛沢東は経済発展を否定したわけではなく、工業に力を入れるべく「大躍進」を唱えた。しかしそのモデルとして作られたのは山西省昔陽県の大寨生産大隊であった。外国の援助に頼らず、新技術の導入も考えず、大衆的な「土行製鋼」による製鉄を目指したのである。  このように見ていくと、毛沢東の目指した社会のビジョンは明らかである。すなわち農村・農民を基盤とした「自給安定社会」である。そして、これを維持していくには全ての特権とその世襲を禁じる必要がある。人民共和国成立以前に軍閥の乱立や政府官僚・資本家による不正が生み出した混乱を目の当たりにしてきた毛沢東にとって、人民間の絶対的な平等は達成されなければいけない目標だったのである。
  • レポート 史学 文化大革命 毛沢東 中国
  • 550 販売中 2005/07/31
  • 閲覧(1,907)
新しくなった
ハッピーキャンパスの特徴
写真のアップロード
一括アップロード
管理ツールで資料管理
資料の情報を統計で確認
資料を更新する
更新前の資料とは?
履歴を確認とは?