ナショナリズムの変容

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    資料紹介

    序論
     私は国際協力理解論でエスノセントリズムについて学んだ。エスノセントリズムとは誰もが無意識のうちに持っているのでありこれを否定することはできない。個々の関係を例にとると、私達日本人はたいてい、外国で育った人と生活を共にするより、同じ日本で育った人と生活する方がより落ち着け、安心できる。これは、外国人が自分達と違う価値観を持っているからそのように感じるのであり、価値観が自分と合わない時の解決策として、彼らをと自分達のコミュニティの中から排除しようとする時、そこに、エスノセントリズムが存在しているといえる。では、もしこれが個々のレベルから、国家を単位としたものとなるとき、はたして国家間にどのような問題が生じるのだろうか。また、対となって存在しているナショナリズムがエスノセントリズムに変容してしまう可能性はあるのかどうかを論じていきたい。そして結論として、エスノセントリズム克服のため何をすべきなのかを考察しようと思う。
    本論
    ここでは、エスノセントリズムの定義とナショナリズムがエスノセントリズムへ変容する可能性を順を追って説明していく。そもそもエスノセントリズムとは「自民族中心主義」のこと、自文化の価値・規範を用いて異文化に低い位置づけを与える態度及び思想である。私達はある文化内で成長すると、その文化を唯一正しいものと認識し、異文化に触れたときに自文化の基準を持って異文化を判断し、異文化を奇妙な不可解なものとして差別的評価をすることがしばしばある。エスノセントリズムは同一文化内においてはその構成員間に相互の寛容的な態度を生み出し、集団内の団結を強化する効果がある。しかし、自文化の盲目的絶対視は異文化へ敵意を持った否定的な態度を生み、偏見・差別・闘争を引き起こすであろう。よって、エスノセントリズムは、単に“民族”を“中心”とするだけではなく、人種・国籍・部族を単位としても発生するといえる。
    <中略>

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    ナショナリズムの変容
    序論
     私は国際協力理解論でエスノセントリズムについて学んだ。エスノセントリズムとは誰もが無意識のうちに持っているのでありこれを否定することはできない。個々の関係を例にとると、私達日本人はたいてい、外国で育った人と生活を共にするより、同じ日本で育った人と生活する方がより落ち着け、安心できる。これは、外国人が自分達と違う価値観を持っているからそのように感じるのであり、価値観が自分と合わない時の解決策として、彼らをと自分達のコミュニティの中から排除しようとする時、そこに、エスノセントリズムが存在しているといえる。では、もしこれが個々のレベルから、国家を単位としたものとなるとき、はたして国家間にどのような問題が生じるのだろうか。また、対となって存在しているナショナリズムがエスノセントリズムに変容してしまう可能性はあるのかどうかを論じていきたい。そして結論として、エスノセントリズム克服のため何をすべきなのかを考察しようと思う。
    本論
    ここでは、エスノセントリズムの定義とナショナリズムがエスノセントリズムへ変容する可能性を順を追って説明していく。そもそもエスノセントリズムと..

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