精神病者の歴史

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    資料紹介

    西暦六一四年作られた養老律令では、
    ? 一眼の視力障害の「一目盲(ひとつめみず)」、聴覚障害の「両耳聾(ふたつみみきかず)」などの「残疾(ぜんしち)」、
    ? 重度の精神障害・精神病と思われる「癡(おろかひと)」、言語障害をもった「(おうし)」、小人症(?漢字が子どもを意味しているので…)の「朱儒(ひきひと)」、腕や足のうちの一肢に障害ある「一支癈(ひとつえだすたれたらん)」などの「癈疾(はいしつ」、
    ? てんかんや精神障害の「癲狂(てんおう)」、二肢に障害のある「二支癈(ふたつえだすたれたらん)」などの「篤疾(とくしち)」、
    と、障害の度合いを「三疾」に分け、これらの者に徴兵、労役を免除している。「残疾」は租税を軽減、「癈疾」と「篤疾」は租税すべてを免除した。また「篤疾」には付添い人をつけると規定している。どこまで実行されたかは確認できないが、少なくとも奈良時代において、身体障害や精神障害のある者を障害の度合いを細かく規定し、国が保護する法や理念はできあがっていた。一方で、こうした障害のある人は健常者と同じ量の仕事をこなせない実態を反映したものとも捉えることができ、エンパワメントの発想(そもそも現代の発想なのだが)はなかったということである。また、障害の度合いを分類するところは今日の障害等級区分に通じるものがあると思う。
    有馬皇子が中大兄皇子の政変、権力争いから逃れるために、精神病にかかったふりをして和歌山県白浜・湯崎温泉に療養に行く話がある。この話しから、湯治の口実にするくらい精神病がありふれた病気だったこと、高い身分の人がかかったときでも隠そうとはしないことから、精神病は差別の対象となる病気ではなかった(この場合は口実であったが、もし差別があればほかの病気にしたはずだと思う)ようであると考えられる。また、温泉が、現在よりも(冷え症や肩こりといった病だけではなく)多くの疾病に効くと考えられていたことも分かる。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    まえがき
    2002年「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」(心神喪失者等医療観察法)」が可決され、翌年から公布・施行された。これは、2001年、精神病院の通院歴のある男が小学校に乱入し、児童を殺傷した事件がきっかけとなって作られた法律だという。「心神喪失の状態で、重大犯罪にあたる行為を行った者」を裁判官と精神保健審判員が審議して「再犯の恐れがある」と判断した者を、本人の同意なく「措置入院」・・・実質的な監禁するもので、心神喪失者への「刑罰」の意味合いが濃い。
    私はこの法案が、心神喪失者を犯罪者予備軍のように扱っているような気がして、また、この法案が精神障害者への不理解を反映しているように思え、そして新たな偏見や差別を植えつけてしまうのではないかと心配に思う。そこで、精神病・精神障害者の差別の歴史について調べたい。
    なお、授業でさまざま上げられたように、精神病にも様々あり、またその様々なもののうちにも程度の軽いものや重いもの、治りやすいものや治りにくいもの等、さまざまであるがここでは一括して「精神病」とする。
    律令時代の精神病
    西暦六一四年作られた養老...

    コメント1件

    fivexrose 購入
    分かりやすくまとめられていて良かったです。
    2006/05/13 21:59 (17年11ヶ月前)

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