人を惹きつけるものとしての宗教

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    資料紹介

    人間を人間たらしめるもの、人間が人間たる所以を表すものとして、知恵を備えたという意味での「叡智人(ホモ・サピエンス)」(リンネ)、道具を用いるという意味での「工作        人(ホモ・ファーベル)」(ベルクソン)、遊ぶという意味での「遊戯人(ホモ・ルーデンス)」(ホイジンガ)といった言葉があることは誰でもよく知っているであろう。 (エピローグ冒頭).......

    遠い昔、人々が集団で生活するようになったとき、人々は孤立することに対する恐怖という感情を持った。その恐怖感を無くすために、個人が集団に属していることを感じさせるものが必要になった。そして最初は長老などの「ひと」を崇めていたのだろうが、崇める対象も、しだいに人間の力ではどうすることもできない自然へと移っていった。そのようにして人間は目に見えない何かの力の存在を信じるようになったのだろう。人々の心の中に不安や悩みがあるからこそ宗教は繁栄し、その地位を不動のものにしてきたのである。
     つまり、人々の心の中から不安や悩みが消えない限り、宗教はその地位を不動のものにし、人々の心のよりどころになったのである。今でも、縁起のよい結婚式の日取りを考えたり、何かを始めるときにふさわしい日取りを気にするあたり、人々の心の中には宗教が存在しているということになるだろう。世界には様々な宗教が存在し、そして、様々な人々が宗教的なしきたりなどに従っていたりする。
    .......
    以上のことなどをもとにして考えると、ある宗教がうまれ、繁栄していくというのは自明の論理であると言えるだろう。規模の大小に関わらず、今日まで時間や空間をこえて様々な宗教が栄え、衰退、もしくは発展しながら現在の生活の中に生きているということ、それが宗教の繁栄についての理由の一部であると思われる。

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    人を惹きつけるものとしての宗教
                 
    人間を人間たらしめるもの、人間が人間たる所以を表すものとして、知恵を備えたという意味での「叡智人(ホモ・サピエンス)」(リンネ)、道具を用いるという意味での「工作        人(ホモ・ファーベル)」(ベルクソン)、遊ぶという意味での「遊戯人(ホモ・ルーデンス)」(ホイジンガ)といった言葉があることは誰でもよく知っているであろう。 (エピローグ冒頭)
    これらの言葉については高校のときの倫理の授業で学んだ記憶がある。わかりやすく言い換えれば、「叡智人」つまり知恵を持つ人という言葉は、ギリシア以来の理性(ロゴス)を重視する伝統に基づいて「考える能力を持つ」ものとして人間の特徴を示した言葉であり、「工作人」という言葉は人間の道具を用いる技術を持つものとしての側面をとらえた言葉である。そして「遊戯人」という言葉は実用的な目的を離れて純粋にその過程を楽しむ遊びこそ、人間のつくりあげた文化の源泉であるとする見方を表した言葉である。これをわかりやすく言い換えると、遊びそのものの本質は人間存在にとって根源的なものであるということである。その...

    コメント1件

    ajisan 購入
    よかったです
    2006/07/12 0:18 (17年8ヶ月前)

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