アダム・スミスと彼の経済理論について

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     アダム・スミスの生きた18世紀はフランス、イギリスの覇権をかけた国家対決の世紀であった。スペイン継承戦争(1701〜14年)に始まり、オーストラリア継承戦争(1740〜48年)、7年戦争(1756〜63年)、アメリカ独立戦争(1775〜83年)、フランス革命戦争・ナポレオン戦争(1793〜1815年)と、世紀を通じて断続した重要な世界戦争において経済的覇権と植民地争奪を争い、イギリス植民地帝国が形成され、その後アメリカ植民地の解放闘争がたたかわれた時代であった。この諸国民の敵対する世界、戦争の世紀こそがアダム・スミスの歴史的背景であり、『諸国民の富』は「諸国民の敵対」という現実及び現実擁護的諸命題に対置した現状改革のヴィジョンにほかならない。
     アダム・スミス(Adam Smith,1723-1790)はスコットランドのエディンバラの対岸に位置するカーコールディで生まれた。17歳で、当時めざましい発展に向かいつつあるグラスコーに赴き、開明的で新しい学問的気風にあふれたグラスゴー大学に学び、さらに20歳以降6年間オックスフォードに学んでいる。その後、1746年にカーコールディに帰り、1748年から3年にわたって3回エディンバラで行った公開講義によって、スミスは学者としての第一歩を踏み出す。1751年には母校グラスゴー大学で教職に就き、道徳哲学=社会哲学の講義を担当した。
     スミスは当時の講義主題を次のように特徴づけたといわれている。「人間は、政治家や企画家から、一般に政治的機械の材料のように考えられている。企画家というものは人事における自然の運行を妨害するが、自然がその諸目的を追求しているばあいには、これを放置し、公正に活動させ、それ自身の意図を確立しうるようにする以外には、必要なことはなにもない。…国家を最下級の野蛮状態から最高度の富裕に到達させるには、平和と軽い租税と正義の寛大な執行のほかに不可欠なものはほとんどなにもない。

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    アダム・スミスと彼の経済理論について
    アダム・スミスの生きた18世紀はフランス、イギリスの覇権をかけた国家対決の世紀であった。スペイン継承戦争(1701~14年)に始まり、オーストラリア継承戦争(1740~48年)、7年戦争(1756~63年)、アメリカ独立戦争(1775~83年)、フランス革命戦争・ナポレオン戦争(1793~1815年)と、世紀を通じて断続した重要な世界戦争において経済的覇権と植民地争奪を争い、イギリス植民地帝国が形成され、その後アメリカ植民地の解放闘争がたたかわれた時代であった。この諸国民の敵対する世界、戦争の世紀こそがアダム・スミスの歴史的背景であり、『諸国民の富』は「諸国民の敵対」という現実及び現実擁護的諸命題に対置した現状改革のヴィジョンにほかならない。
    アダム・スミス(Adam Smith,1723-1790)はスコットランドのエディンバラの対岸に位置するカーコールディで生まれた。17歳で、当時めざましい発展に向かいつつあるグラスコーに赴き、開明的で新しい学問的気風にあふれたグラスゴー大学に学び、さらに20歳以降6年間オックスフォードに学んでいる。その後、1..

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