失われた10年とは

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    資料紹介

     失われた10年とは簡潔に言うと平成の経済不振である。
    1980年代、日本の生産力と競争力は世界最高を誇るまでになり石油価格は値下がり、日本の交易条件は大幅に改善され貿易収支は大きな黒字になりだした。当然日本円の為替レートも上がったにもかかわらず日本の輸出は増え続け貿易黒字はどんどん膨らんだ。その結果、日本経済には資金過剰現象がおき、政府も金融緩和政策をとりお金を使うように仕向けようとした。企業に対しても投資を促し、民間活力を使って公共施設の建設促進を図る施策などもやりだした。貿易黒字で資金が入り、政府日銀も金融緩和をし、巷にはお金が余っていると余剰のお金は投機に向かう。つまり、日本国民の限界消費性向がかなり高い状態にあると想像できる。80年代の日本ではそれが土地と株に流れた。その為、土地と株が値上がりした。これがバブル景気である。土地を持つ企業の株が値上がりし、その企業の収益性や配当率とは関係なく高値になった。このため企業は転換社債や新株を発行すれば、ゼロに近い金利で限りなく資金を調達することができた。しかし、どんな商売をしても引き合わないほどに土地価格は高くなり土地は売れなくなる。そんな時政府は地価抑制の為に土地購入に対する融資を引き締めた。そして91年には土地を買うものが減る一方膨大な借金で土地を買った人々は地価が高いうちに売ろうと焦りだし、地価は暴落し破綻者が続出した。これがバブル景気の崩壊である。
     「失われた10年」と言われる原因となったのは、バブル景気崩壊後の経済対策が遅かったこととバブルが崩壊した後も政府の見通しが甘かった事にあると私は思う。1989年と2001年の経済成長率を比べてみると89年は実質4.9%、01年は-1.9%というひどいものである。
     この平成経済不況を作った要因としてまず第一に銀行が挙げられる。

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     失われた10年とは簡潔に言うと平成の経済不振である。
    1980年代、日本の生産力と競争力は世界最高を誇るまでになり石油価格は値下がり、日本の交易条件は大幅に改善され貿易収支は大きな黒字になりだした。当然日本円の為替レートも上がったにもかかわらず日本の輸出は増え続け貿易黒字はどんどん膨らんだ。その結果、日本経済には資金過剰現象がおき、政府も金融緩和政策をとりお金を使うように仕向けようとした。企業に対しても投資を促し、民間活力を使って公共施設の建設促進を図る施策などもやりだした。貿易黒字で資金が入り、政府日銀も金融緩和をし、巷にはお金が余っていると余剰のお金は投機に向かう。つまり、日本国民の限界消費性向がかなり高い状態にあると想像できる。80年代の日本ではそれが土地と株に流れた。その為、土地と株が値上がりした。これがバブル景気である。土地を持つ企業の株が値上がりし、その企業の収益性や配当率とは関係なく高値になった。このため企業は転換社債や新株を発行すれば、ゼロに近い金利で限りなく資金を調達することができた。しかし、どんな商売をしても引き合わないほどに土地価格は高くなり土地は売れなくなる。...

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