「日本社会党」関連論文の比較

会員540円 | 非会員648円
ダウンロード カートに入れる
ページ数4
閲覧数291
ダウンロード数1
履歴確認

    ファイル内検索

    資料紹介

    1.はじめに
    本発表では論文「右派社会党の安全保障政策」と「戦後前半期の社会党」の要旨をまとめたうえで、両論文のテーマ、分析視点、まとめを比較していき、2つの論文の立場の違いについて見ていきたい。
    2.戦後社会党について
    日本社会党は、西尾末広が軸になって右派主導で、左派も取り込んで結党された。1947年5月の総選挙で第一党になった社会党は片山哲を首班とする社会・民主・国民協同党の保革連立政権を成立させた。

    資料の原本内容( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    論評「右派社会党の安全保障政策」と「戦後前半期の社会党」の比較
    目次
    1.はじめに
    2.戦後社会党について
    3.論文の要旨
    (1)「右派社会党の安全保障政策」要旨
     (2)「戦後前半期の社会党」要旨
    4.論文の比較
    5.おわりに
    1.はじめに
    本発表では論文「右派社会党の安全保障政策」と「戦後前半期の社会党」の要旨をまとめたうえで、両論文のテーマ、分析視点、まとめを比較していき、2つの論文の立場の違いについて見ていきたい。
    2.戦後社会党について
    日本社会党は、西尾末広が軸になって右派主導で、左派も取り込んで結党された。1947年5月の総選挙で第一党になった社会党は片山哲を首班とする社会・民主・国民協同党の保革連立政権を成立させた。続く自由党の芦田均を首班とする同連立政権でも与党を担当するが、昭和電工疑獄事件によって崩壊してしまう。昭電疑獄事件の影響で、社会党は次の選挙で大きく議席を減らし、右派の党内での影響力も弱まった。
    1950年6月に朝鮮戦争が勃発すると、安全保障問題が社会党内部でも現実的な政策次元の問題となり、争点となった。51年9月にサンフランシスコ講和・日米安保条約が調印さ..

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。