日本外交史

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    ワシントン体制下の協調外交
     日本は、大戦終結後のパリ平和会議に史上初めて世界五大国の一つに列せられることとなる。しかし、国際連盟の創設など旧秩序を否定して自由主義的な変革を目指すアメリカの新外交に困惑することとなる。とくに大戦中に日本がドイツから奪取した山東利権は、米中両国の反対で暗礁に乗り上げたが、最終段階でかろうじて承認された。この結果、中国では、五・四運動(1919.5)が発生して反日運動が激化し、日中関係が決定的に悪化したばかりでなく、日米関係の対立もさらに深刻化したのである。
    1920年代は、世界大戦や革命が相次いだ激動期の10年代と、イデオロギーや国益が火花を散らす抗争期の30年代との谷間に位置する比較的安定した時代であった。それはこの時期ヴェルサイユ体制とともに、アジア・太平洋地域にワシントン体制と呼ばれる新国際秩序が維持されたためである。日本はこの時期、アジア唯一の大国として認められ、ワシントン会議では従来の日米対立要因を払拭し、英米両国と協調して新体制を維持するグローバル国家へと発展した。20年代の日本外交をリードした幣原外交と田中外交は、対中国外交で好対照を示した..

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