三角縁神獣鏡研究史

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    資料紹介

    1.はじめに
    紀元1世紀のころ、倭人ははじめて中国の文物に接し、以後、先を争うように鏡を求めた。日本列島から出土する鏡の数は1000面近くに達している。
     中国三国時代の魏の書物『魏志』倭人伝には、景初3年(239)初めて魏に遣使倭の女王卑弥呼に対して、皇帝が銅鏡百枚を含む数多くの品物を与えたという記述が見られる。近畿地方を中心に分布する三角縁神獣鏡こそが、この銅鏡百枚であるという有力な説があるため、発見のたびに「邪馬台国畿内説に有利云々」という見出しが新聞に上ることになる。邪馬台国論争を所在地論のみに限定するのは適切ではないが、三角縁神獣鏡の身元を明らかにすることは避けて通れない論点であることは間違いない。
     それだけでなく、三角縁神獣鏡は古墳時代前期の有力古墳から主要な副葬品として発見されるため、古墳時代開始期の列島内諸勢力の政治関係を考えるうえで第一級の考古資料として重視される。
     このように邪馬台国、古墳時代を考える上で重要な考古資料である、三角縁神獣鏡の研究史について本稿ではまとめておきたいと思う。なお三角縁神獣鏡には中国製と考えられる舶載鏡とそれを模倣し日本で作られたと理解される �製鏡があるが、本稿では舶載鏡を問題として取り上げたい。
    2.三角縁神獣鏡とは

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    三角縁神獣鏡の研究史
      目次
    1.はじめに
    2.三角縁神獣鏡とは
    3.富岡謙蔵の年代論
    4.小林行雄の同笵鏡論
    5.王仲殊の日本製説
    6.三角縁神獣鏡研究の現状
    7.おわりに
      1.はじめに
     古来、鏡好きの倭人は数多くの鏡を墳墓に副葬した。紀元1世紀のころ、倭人ははじめて中国の文物に接し、以後、先を争うように鏡を求めた。日本列島から出土する鏡の数は1000面近くに達している。
     中国三国時代の魏の書物『魏志』倭人伝には、景初3年(239)初めて魏に遣使倭の女王卑弥呼に対して、皇帝が銅鏡百枚を含む数多くの品物を与えたという記述が見られる。近畿地方を中心に分布する三角縁神獣鏡こそが、この銅鏡百枚であるという有力な説があるため、発見のたびに「邪馬台国畿内説に有利云々」という見出しが新聞に上ることになる。邪馬台国論争を所在地論のみに限定するのは適切ではないが、三角縁神獣鏡の身元を明らかにすることは避けて通れない論点であることは間違いない。
     それだけでなく、三角縁神獣鏡は古墳時代前期の有力古墳から主要な副葬品として発見されるため、古墳時代開始期の列島内諸勢力の政治関係を考えるうえで第一級...

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