中国の外交・華僑

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    第一章・政治優先外交の30年間
    <中国外交第一期>
     改革外交と現実外交の交錯期である194978年が中国外交第一期である。その中の4953年は50年二月の中ソ同盟条約締結を挟んで第一次五カ年計画までが「向ソ一辺倒」時代である。台湾に逃げた国民党・蒋介石政権を支持する、アメリカに怒りをあらわにし、アメリカと対立するソ連側についた。しかし、この時代の中国は国共内戦が残した経済的荒廃に追われ、自国利益を追求する地についた外交を展開する環境もゆとりもなかった。
     53年からの第一次五カ年計画に入った年の、七月朝鮮休戦調印をきっかけに、周恩来首相のもと平和共存外交に転換する。55年のインド・ビルマの平和五原則、バントン会議での平和五原則の確認など中国の政治イデオロギーを超越した近隣重視の外交が行われた。また55年8月には第一回ジュネーブ会談でアメリカとの対話も実現した。
     しかし、ソ連とは核技術供与を拒んだことから、毛沢東はソ連の建軍方針を批判し、59年6月には中ソ原爆協定の破棄で中ソ戦争になるかと思われたが勃発することはなかった。毛沢東は62年の七千人大会における自己批判を機に、第一次現実外交に移るが、文化大革命の発動により消えていってしまった。そして改めて周首相のもとで第二次現実外交が始まり、日中国交回復を実現させた。
    <中国外交第二期>
     中国外交第二期は改革・開放以降の現実主義的な全方位外交期である。77年に第11回党大会で復活した登小平は、全人代で「国民経済発展10カ年計画」を発表した。これは市場重視、不良企業の整理、管理強化、自主権拡大など登小平路線の先取りをあらわしている。
     登外交は78年日中平和友好条約、米中国交回復の実現など、かつては正面から衝突した二国と和解し、近代化に向けて大きな追い風となった。

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    第一章・政治優先外交の30年間
     <中国外交第一期>
     改革外交と現実外交の交錯期である1949〜78年が中国外交第一期である。その中の49〜53年は50年二月の中ソ同盟条約締結を挟んで第一次五カ年計画までが「向ソ一辺倒」時代である。台湾に逃げた国民党・蒋介石政権を支持する、アメリカに怒りをあらわにし、アメリカと対立するソ連側についた。しかし、この時代の中国は国共内戦が残した経済的荒廃に追われ、自国利益を追求する地についた外交を展開する環境もゆとりもなかった。
     53年からの第一次五カ年計画に入った年の、七月朝鮮休戦調印をきっかけに、周恩来首相のもと平和共存外交に転換する。55年のインド・ビルマの平和五原則、バントン会議での平和五原則の確認など中国の政治イデオロギーを超越した近隣重視の外交が行われた。また55年8月には第一回ジュネーブ会談でアメリカとの対話も実現した。
     しかし、ソ連とは核技術供与を拒んだことから、毛沢東はソ連の建軍方針を批判し、59年6月には中ソ原爆協定の破棄で中ソ戦争になるかと思われたが勃発することはなかった。毛沢東は62年の七千人大会における自己批判を機に、第一次..

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