宗教と人権の制約 : テキストデータ

マリ時代とは180度正反対の一般的な日常生活に戻ることになる。当然そのときには同年代の少女に比べると、学習面などで遅れをとっている。           
このクマリ信仰の存在を知るまで、「生ける神」の存在を全く知らなかったわけではない。チベットのダライ・ラマが「神」として代々、人々から崇拝の対象になっていることはニュースや新聞記事などで目にしたことがあった。ダライ・ラマを中心としたチベットの独立問題に対する諸外国のスタンスを見ても、「生ける神」という概念自体は世界的にもそれほど特殊なことではないように思われる。このようにダライ・ラマに代表されるような「生ける神」が広く認知されていることに加え、私は現代の大多数の日本人と同様に、初詣や七五三をとりわけ宗教的慣習と意識せずに古くから の伝統的慣習と捉え、幼いころから宮崎アニメなどを通してアニミズムに親近感を抱いていたので、「生ける神」という概念自体にさほど違和感を覚えなかった。
しかしこのクマリ信仰は、私の目には特殊に映った。見るからにあどけなさの残る少女が、無表情な「神」であるということに大変驚いたと同時に、クマリの少女をみているうちに日本の天皇を想起した。一般人から選定され、少女の間だけ「神」として崇められるクマリと、代々受け継がれてきた血統を重視し、戦後に日本国憲法の下で「象徴」となった天皇ではたしかにその位置づけが違う。だが、皇室という存在が身近にある日本という国家の国民としては、天皇とクマリがどうしても重なってみえた。右も左もわからぬ頃から崇められる存在としての宿命を負わされ、神聖なものとして育