考古学

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    ? 土器研究史
     まずは弥生文化の研究史について述べることにする。研究史といっても様々なものがあるが、ここでは土器についての研究史をレポートすることにする。弥生土器研究史はその研究の成果により、第1期から第4期に時期区分ができる。第1期は発見と模索、すなわち弥生土器の名称の確立とその性格の研究の時代である。弥生土器の発見から1920年代前半頃までである。1883年、有坂蔵は東京都本郷区向ヶ丘において貝塚を発見し、翌年かの有名な壷型土器を発見した。発見跡の地名である弥生町にちなんで「弥生式土器」と呼ばれるようになり、縄文土器に後続する土器であると規定された。第2期は土器様式と編年研究の成立と展開の時代である。1920年代後半から1940年代後半に至る時期である。この時期には、森本六爾を中心とする東京考古学会が設立され弥生土器研究は大きく進展することになる。多くの研究者が多くの説を唱えていったが確固とした考えが成立せず不明確な部分を残してはいたが、研究の基礎を確定し、戦後の発展につながっていった。第3期、日本考古学界は1945年から始まった登呂遺跡の発掘調査により新たな再出発の一歩を踏み出す。日本考古学協会はその内部に弥生式土器文化総合研究特別委員会を設け、西日本を中心に25の弥生遺跡を発掘調査し、多大な成果を挙げた。なかでも福岡県板付遺跡で検出された従来考えられていたよりも1段階遡る、最古の弥生土器という板付?式土伴出した最古の縄文土器といわれる、夜臼式土器が重要である。両者の共存の事実は弥生土器の起源と系統に関して議論の的となり見解の不一致を起こすことになった。弥生土器は朝鮮等からの外部的影響によって生まれたのか、あるいは大陸からの影響を受けつつも縄文土器に後続し、その内部で出来たものなのか明確な解答は出せなかった。

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    弥生文化とその研究史
    Ⅰ 土器研究史
     まずは弥生文化の研究史について述べることにする。研究史といっても様々なものがあるが、ここでは土器についての研究史をレポートすることにする。弥生土器研究史はその研究の成果により、第1期から第4期に時期区分ができる。第1期は発見と模索、すなわち弥生土器の名称の確立とその性格の研究の時代である。弥生土器の発見から1920年代前半頃までである。1883年、有坂鉊蔵は東京都本郷区向ヶ丘において貝塚を発見し、翌年かの有名な壷型土器を発見した。発見跡の地名である弥生町にちなんで「弥生式土器」と呼ばれるようになり、縄文土器に後続する土器であると規定された。第2期は土器様式と編年研究の成立と展開の時代である。1920年代後半から1940年代後半に至る時期である。この時期には、森本六爾を中心とする東京考古学会が設立され弥生土器研究は大きく進展することになる。多くの研究者が多くの説を唱えていったが確固とした考えが成立せず不明確な部分を残してはいたが、研究の基礎を確定し、戦後の発展につながっていった。第3期、日本考古学界は1945年から始まった登呂遺跡の発掘調査により新..

    コメント1件

    tonbo789 購入
    参考文献を載せてほしかったです。
    2006/07/08 2:21 (10年5ヶ月前)

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