三池炭鉱労働争議

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    資料紹介

     三井三池炭鉱は福岡県大牟田市と熊本県荒尾市にまたがる一帯に点在する炭坑の総称である。
     敗戦からの復興を目指す当時の日本にとって、石炭産業は国家再建の立役者だった。中でも三池炭鉱で採掘される石炭は良質で、生産量も国内最高を誇っていた。戦前は朝鮮人労働者の労働力に依存していた炭鉱の労働力は、敗戦後深刻な労働力不足に悩むことになる。労働力不足解消のため、三池炭鉱は戦災者・海外からの引き揚げ者を鉱夫として、雇うことによりこの問題を解消させることになる。
     敗戦が炭鉱にもたらしたものは、労働力不足だけではなく、GHQ指導の下によって広がった労働運動の解放である。この流れの中で、1946年2月、三池炭鉱労働組合と三池炭鉱職員労働組合が結成される。3月には、三池炭鉱労働組合と三池炭鉱職員労働組合は共闘して、初めてのストに入る。このストは会社側が労組の要求を認めたために、一ヶ月で収束する。
     「石炭は国家なり」と日本が石炭産業によって復興の道を歩んでいたころと時を同じくして、世界は石炭から石油へのエネルギー革命を迎えようとしていた。しかし日本はこの流れに鈍感で企業の合理化は立ち遅れ、炭価はコスト高になっていった。それでも、朝鮮戦争の特需が石炭産業を助け、この時代に三池炭鉱は創業以来の高率配当を出している。しかし、戦争による特需は当然長くは続かず、石炭産業界は合理化を余儀なくされる。
     1953年8月、三井鉱山は全国の炭鉱で炭鉱の整理を始める。三池では計5738人の希望退職者を募集し、満たない場合は、一定の基準に該当する者に退職を勧告し、応じない場合は解雇すると発表する。これに対して全国三井炭鉱労働組合連合会(三鉱連)は、闘う決意を表明することになる。一方、会社の職員で構成される三井鉱山社員労働組合連合(三社連)に対しても、1001人の希望退職者を求めた。

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    三井三池炭鉱は福岡県大牟田市と熊本県荒尾市にまたがる一帯に点在する炭坑の総称である。 敗戦からの復興を目指す当時の日本にとって、石炭産業は国家再建の立役者だった。中でも三池炭鉱で採掘される石炭は良質で、生産量も国内最高を誇っていた。戦前は朝鮮人労働者の労働力に依存していた炭鉱の労働力は、敗戦後深刻な労働力不足に悩むことになる。労働力不足解消のため、三池炭鉱は戦災者・海外からの引き揚げ者を鉱夫として、雇うことによりこの問題を解消させることになる。
     敗戦が炭鉱にもたらしたものは、労働力不足だけではなく、GHQ指導の下によって広がった労働運動の解放である。この流れの中で、1946年2月、三池炭鉱労働組合と三池炭鉱職員労働組合が結成される。3月には、三池炭鉱労働組合と三池炭鉱職員労働組合は共闘して、初めてのストに入る。このストは会社側が労組の要求を認めたために、一ヶ月で収束する。
     「石炭は国家なり」と日本が石炭産業によって復興の道を歩んでいたころと時を同じくして、世界は石炭から石油へのエネルギー革命を迎えようとしていた。しかし日本はこの流れに鈍感で企業の合理化は立ち遅れ、炭価はコスト高にな..

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