私の体験的国際協力論

閲覧数3,075
ダウンロード数15
履歴確認

    • ページ数 : 5ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    <Option A> 私の体験的国際協力論
    ~日本とアジア各国との関係~
    近年、個人的体験を通じて日本とアジア各国との協力関係について考える機会があった。そこで、①いま日本が必要としているアジアとの関係について、②アジアにおける日本の立ち居地について、③いまおこなわれるべきこと、そしておこなえることについて、自分なりの意見をまとめてみた。
    第一項:いま日本が求めているアジア
    大学1年生の夏、生まれてはじめてマレーシアという国をおとずれた。しかも首都クアラルンプールは経由しただけで、目的地はサバ州サンダカンというボルネオ島の田舎町だった。どのくらい田舎だったかというと、サバ州第二の都市であるにも関わらず、町にはエスカレーターが一台しかないというほどだ。しかもその一台さえもほとんど動いていなかった。そこからさらに車で1時間ほどいった村には、日本ではもうみられない光景があった。そこはまさに日本人のイメージするアジアの発展途上国そのものだったのだ。大家族で暮らす人々は、太めの枝や葉っぱでつくられたマレーシアの昔ながらの長屋に住み、現地特有の犬や家畜と子供たちが泥んこになって遊び、あたりは水牛の糞と熟しすぎたフルーツとヤシ油の独特のにおいがしていた。
    そんなサンダカンで私が身をもって感じていたのは、この国の貧富の差であり、物価の安さであり、衛生観念の低さ、そして亜熱帯の暑さと湿気と、飲み物のぬるさだった。しかしそれと同時に、食文化の豊かさや、現地で親切にしてくださった方々のあたたかさ、イスラム文化の深み、そして何よりも精神的な意味での人々の生活のゆとりを非常に強く感じた。時計にしばられることなく、日が登れば目覚め、日が沈めば寝る。周りに住む大勢の人々と助け合い、同じコミュニティーのなかで子供をそだて、老いていく。人間という生き物にとってごくごく当たり前なはずの生活サイクルが、なぜか新鮮だった。
    サンダカンは、東京とはちがい自動販売機の1つも無かったが、同時にスクランブル交差点も騒音も通勤ラッシュも無かった。最初は少しずつ慣れることが必要だと思いもしたが、帰国する直前になると、もっとこの国に居たい、この国を知りたい、と思ったものである。もっともそんなことを気楽に考えたのも、私が日本人であり、それなりの日本円を持って生活している身であるから、だったかもしれない。実際にマレーシアの人々からは、日本人であるというだけで経済的に豊かであるというイメージをもたれる、という印象があった。しかしマレーシアには、日本が富を得るにしたがって、いつしかなくしたものがまだ数多く残されていた気がしてしょうがなかったのだ。 
    確かに、日本は豊かである。アジアの中で先頭をきって先進国の仲間入りを果たし、第二次世界大戦でうけた大きな傷にもめげずに発展を成功させてきた。しかしこの国には、生産性・効率性ばかりを重視しがちであるという弱点がある。生産性と効率性を追い求め、より低いコストで大量生産を実現させなければ、今日のような日本はありえなかっただろう。しかし、その代償はこの国にとって小さくはなかった。その結果うまれたストレス社会の中で、環境問題、深刻な家庭内問題、若者の社会離脱、大量自殺等の諸問題があとを絶えない。大きな社会のシステムの中で、人間性を重視する風潮を忘れかけてしまっているいま、私たちは、私たちの原点であるアジアの文化・歴史・伝統的価値観から人間性についての問題解決のヒントを何か得られるはずである。日本からの経済的支援は、多くのアジアの国々が必要とし、求めているものであるが、日本

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    <Option A> 私の体験的国際協力論
    ~日本とアジア各国との関係~
    近年、個人的体験を通じて日本とアジア各国との協力関係について考える機会があった。そこで、①いま日本が必要としているアジアとの関係について、②アジアにおける日本の立ち居地について、③いまおこなわれるべきこと、そしておこなえることについて、自分なりの意見をまとめてみた。
    第一項:いま日本が求めているアジア
    大学1年生の夏、生まれてはじめてマレーシアという国をおとずれた。しかも首都クアラルンプールは経由しただけで、目的地はサバ州サンダカンというボルネオ島の田舎町だった。どのくらい田舎だったかというと、サバ州第二の都市であるにも関わらず、町にはエスカレーターが一台しかないというほどだ。しかもその一台さえもほとんど動いていなかった。そこからさらに車で1時間ほどいった村には、日本ではもうみられない光景があった。そこはまさに日本人のイメージするアジアの発展途上国そのものだったのだ。大家族で暮らす人々は、太めの枝や葉っぱでつくられたマレーシアの昔ながらの長屋に住み、現地特有の犬や家畜と子供たちが泥んこになって遊び、あたりは水牛の...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。