死生学

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    「サハラの旅」 曽野綾子
    まだ現実に死を約束されていない人間たちでも、どこかで死の用意をするということはあるのだろうか。それが最も渾然一体となっているのはエベレストに上るような方たちだ。自分を死の方へできるだけ近づけ、そこで死を実感するということで、逆に生の意味を見つける、ということだと思う。これは私も常日頃考えていることとよく合う。つまり死を引き当てでなければ、生がわからない、ということだ。
    <中略>
    「旅は道づれ」 アルフォンス・デーケン
    人生とは旅である。人生の旅は大きく分けて青少年、中年期、老年期の三つの段階がある。
    青少年は世界に占める自分の位置を求めての旅、中年期はひとつところに腰を据え、自分の生活を築き上げようとする旅、老年期はそれまでに成し遂げた物事の限界と不完全さを知り、再び旅人として歩み始めるのである。

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    「サハラの旅」 曽野綾子
    まだ現実に死を約束されていない人間たちでも、どこかで死の用意をするということはあるのだろうか。それが最も渾然一体となっているのはエベレストに上るような方たちだ。自分を死の方へできるだけ近づけ、そこで死を実感するということで、逆に生の意味を見つける、ということだと思う。これは私も常日頃考えていることとよく合う。つまり死を引き当てでなければ、生がわからない、ということだ。私は小心な人間、また都会人であるために、危険な所には行きたくないし、劇的なこと、深刻なことを素敵とは思わない。今度のサハラの旅も、日常的な旅であり、安全だと思うから行くのだ。ただ、私たちの日常生活が、実は危険と「明日をも知れぬ命」という現実にさらされているのと全く同じ程度には、私たちの旅も危険と抱き合わせだろう。
     このごろ、なぜ老人に老年の苦しみが与えられるかが少しずつ分かるような気がし始めた。若いうちには、複雑な老年を生きる資格も才覚もない。自分の体の自由がきかなくなる、記憶力が悪くなる、美しい容貌が醜くる、社会的地位を持っていた人がそれを失わねばならないようなことになり、ただ残るのは、自分の..

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