秦帝国の盛衰

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    レポート史学始皇帝胡亥中国史

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    史学中国史始皇帝

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    1.秦王国から秦帝国へ
     中国史上初の統一王朝である秦帝国は、もともと西周時代に現在の陝西省附近に起こった国である。はっきりした起源は不明であるが、その後戦国時代、紀元前324年に恵文王(26代目秦公)が始めて「王」を名乗り、王国となる。
     後の始皇帝、秦王政が即位したのは紀元前247年。すでにこの頃には中国大陸で一二を争う強大な国となっていたが、さらに紀元前230年以後は積極的に他国の攻略を行い、韓・趙・燕・魏・楚を、そして221年には最後まで残っていた斉をも倒して、天下の統一を成し遂げた。
     統一君主としての名称を皇帝と定めた始皇帝は、まず初めに広大すぎる天下の大地を治める手段として、郡県制を施行する。これによって全国は36郡に分けられ、それぞれを中央から派遣された官吏が統治することになった。またそれに伴い、全国の民衆が所持していた武器を没収し、都に集めて銅像と楽器の形に鋳なおした。これは、日本における豊臣秀吉の刀狩と同じく民衆の抵抗力を削ぐとともに、皇帝統治下の天下において、もはや兵器は不要であるという宣言のようにも思える。それと同時に、これまで各国がそれぞれ別のものを用いていた、度量衡・通貨・文字の統一も行う。これによって中国各地は社会的・文化的に結びついたとされるが、実際には、貨幣統一が全国にまで及んだのは始皇帝没後、二世皇帝即位の後であった。
     また、当時勢力を伸ばしつつあった北方の異民族に対する備えとして、かつての趙・燕・そして秦がそれぞれ築いていた長城を繋げて万里の長城をつくった。更に紀元前212年には首都の中心に巨大な宮殿を建設し始めた。これはただの宮殿ではなく、当時の世界観をかたどった、いわば宇宙の縮図である。つまりこの宮殿に住むことで、始皇帝は天帝そのものとなって世界を治めることになったのだ。
     秦王時代から着手していた自らの墓の造営も、規模を拡大して続行された。

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    1.秦王国から秦帝国へ
     中国史上初の統一王朝である秦帝国は、もともと西周時代に現在の陝西省附近に起こった国である。はっきりした起源は不明であるが、その後戦国時代、紀元前324年に恵文王(26代目秦公)が始めて「王」を名乗り、王国となる。
     後の始皇帝、秦王臝政が即位したのは紀元前247年。すでにこの頃には中国大陸で一二を争う強大な国となっていたが、さらに紀元前230年以後は積極的に他国の攻略を行い、韓・趙・燕・魏・楚を、そして221年には最後まで残っていた斉をも倒して、天下の統一を成し遂げた。
    統一君主としての名称を皇帝と定めた始皇帝は、まず初めに広大すぎる天下の大地を治める手段として、郡県制を施行する。これによって全国は36郡に分けられ、それぞれを中央から派遣された官吏が統治することになった。またそれに伴い、全国の民衆が所持していた武器を没収し、都に集めて銅像と楽器の形に鋳なおした。これは、日本における豊臣秀吉の刀狩と同じく民衆の抵抗力を削ぐとともに、皇帝統治下の天下において、もはや兵器は不要であるという宣言のようにも思える。それと同時に、これまで各国がそれぞれ別のものを用いていた..

    コメント2件

    aisiteiru730 購入
    参考にします。
    2007/05/22 11:17 (9年6ヶ月前)

    yodachman 購入
    ありがとうございます
    2007/07/10 10:57 (9年5ヶ月前)

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